聞いている私のほうが胸が苦しくなるような話が続いたのですが、もし私が幹人さんの立場で胸が苦しくなるから、離婚の主張を取り下げるのだとしたら、やはり幹人さんには自由はないことになります。
改めて菜美恵さんに、「私のこと好き?」と聞いてください、と促すと、覚悟を決めて、
「私のこと嫌いですか?」
とお聞きになりましたので、私は、「私のこと好きな気持ちある?」と聞いてくださいと、言いました。
2つの質問は論理的には意味は同じように見えますが、違います。大好きで、同時に大嫌い、という関係もあれば、好きでも嫌いでもないという関係(例えば無関心)というのもあります。だから、好きと嫌いは同じ定規の両端ではなくて、別の概念です。
菜美恵さんは言い直してくれました。
「わたしのこと好きな気持ちありますか?」
幹人さんが答えそうなことは、「情はあるけど、女性としての愛情はなくなった」というようなことです。ほかにも、「人間としては尊敬しているけど、夫婦としてはやっていけない」とか「好きか嫌いかと言われれば、嫌いのほうが大きくなった」などという方もいらっしゃいます。
いずれも、質問にまっすぐ答えていません。そういうことが予想されるので、先制して、「質問には厳密に答えてください」とお願いしました。厳密に答えれば「好きな気持ちがあるか?」が質問ですから、1%でもあれば「Yes」になるはずです。
ダメ押しでもう一つ、その人を好きかどうかと、自分の気持ちを押さえなければならないことは別のことだと説明しました。相手のことが好きだから、ここは(自発的に)我慢しよう、ということは普通のことですが、「好きなら相手のために我慢しなければならない」とか、「我慢を強制されるのが当然だ」ということはない、とお伝えしました。そしてなによりも「好きなら一緒にやっていけるはずだ」というようなこともないのです。
とにかく、質問は、好きな気持ちがあるかどうかだけですから、厳密に答えてほしいとお願いしました。
幹人さんは、「ある」とお答えになりました。
菜美恵さんは、また涙ぐむのと同時に、混乱した表情をされています。それも当然です。菜美恵さんの視点からしたら、幹人さんに自分を好きな気持ちがあることと、自分を裏切ることが、どうしても両立しないのです。