一番長くて1カ月滞在したけど、そのときは現地のフィットネスジムの会員になって、ビーチを眺めながらトレーニングしたりね。毎日短パンでジムに通っていると「俺もすっかりハワイに慣れたな」って、自己満足で大いに喜んだもんだ。朝に練習を終えてホテルに帰るのとは反対に、ビーチへ行く観光客とすれ違う俺がね、我ながらカッコよかったと思うよ(笑)。
(ジャイアント)馬場さんもハワイが好きで、俺が全日本プロレスに入団したての頃「おい天龍、ハワイに行ったことはあるか?」って聞かれて「相撲の巡業で何度か行きました」と返すと、しみじみ「そうかぁ。ハワイはいいよなぁ」って言っていたよ。馬場さんはよくアメリカ本土で試合があるとそのままハワイに行っていて、それくらい好きだったみたいだね。
また、印象的な旅といえば、プロレスの修業時代に行ったアメリカも忘れられない旅だ。初めて行ったのがテキサス州のアマリロ。ロサンゼルス空港で乗り換えてアマリロに行くんだけど、その間、窓の外に見える景色は牧草地ばっかりで「すごいところに来てしまったな……」と思ったことを覚えている。ドリー(・ファンク・ジュニア)たち現地のレスラーの車に乗っていろいろな会場に移動したけど、大体6~7時間移動にかかるんだよ。そのとき車内に流れていたのがカントリーミュージックで、今でも聴くと懐かしさがこみ上げる。それに、アマリロといえば、西部劇でよく見る、風が吹くとくるくる回っているあの草だ。“タンブルウィード”って言うらしいけど、あれを見たときに「ああ、テレビで見たのと同じだ!」って、くだらないけど感激したことを覚えている。
そんなアマリロには半年くらいいたけど、当時は「竹の家」という日本料理屋があった。ジャンボ鶴田も修業時代によく通っていて、そこなら日本食が食べられるって教えてもらったんだ。修業時代はお金もないし、時間もあって暇だから、そこで皿洗いとか後片付けを手伝って、お店の人や家族と一緒にご飯を食べさせてもらっていたよ。ほとんど従業員だな。