天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす(撮影/写真部・掛祥葉子)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす(撮影/写真部・掛祥葉子)
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(写真提供/天龍プロジェクト)
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 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは?今回は「旅」をテーマに、飄々と明るく、つれづれに語ります。

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 今回のテーマは「旅」か。いまはコロナで他県への移動も控えなきゃいけないけど、思い出はいっぱいあるよ。嶋田家の旅行といえば、毎年年末に行っていたハワイの家族旅行だね。ハワイは相撲時代の巡業で何度か行ったことはあったけど、当時は番付が下の方であまりお金もなくて楽しめなかったなぁ。ホテルの清掃時間だけ部屋から外に出されて、海に行ってボーっとするくらいしかやることがなかった。部屋の先輩力士で当時横綱だった大鵬関や後に大関になる大麒麟関も同じような感じだったんじゃないかな。力士もそんなにお金がもらえた時代ではないからね。ただ、ハワイ出身の高見山だけは地元の仲間だなんだで楽しんでいたようだよ(笑)。

 まあ、そんなに楽しい思い出もなかったハワイだけど、好きになるきっかけは楽ちゃん(6代目三遊亭円楽、当時は楽太郎)だ。彼と飲んだときに「ハワイに行こうよ」って誘われたんだよね。あまり乗り気じゃなかったけど、誘いに乗って行ってみたんだよ。そしたら楽ちゃんがホテルや店も全部セッティングしてくれて、それが楽しくてね。一緒に行った女房から言わせてみれば「夜になると日本風の居酒屋に行って、それから朝までカラオケ。あんたたちは、日本でもハワイでもやることは一緒」らしいけど……。

 それ以来、嶋田家の家族旅行は年末のハワイが定番になったんだ。女房や娘はショッピングやプールに行ってね。その間、俺はずっと日焼けしているんだよ。俺自身、プロレスを頑張ってどんどんステップアップしてきた時期だから、年々、泊まるホテルのグレードが上がったり、滞在日数が増えると、自分の頑張りの物差しになる。最初は5泊7日だったのが、7泊になり、10泊になりと、結果が目に見えて実感できた時代だよね。

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馬場さんも「ハワイはいいよなぁ」と