前例のない闘いに、寝食を削っても命を守り続けてきた医療従事者たち。新型コロナと最前線で対峙して感じた、私たちには計り知れない苦悩がある。国立国際医療研究センター国際感染症センター長の大曲貴夫医師が語る。
【チャート】ひと目でわかる新型コロナに関する出来事と新規陽性者数推移
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私たちの病院では重症患者を中心に約150人の治療に当たってきました。集中治療室6床に加え、結核病床に指定されていた40床を新型コロナ患者専用の一般病床に切り替えて対応しています。
ピークは4月の第2週でした。集中治療室が満杯になり、重症患者2人に人工呼吸器を着けたまま一般病床に移ってもらったこともあります。
重症患者は必ずと言ってよいほど肺炎の影を確認できます。これほど大勢の肺炎患者の治療に当たったのは私自身、初めての経験でした。
なかでも忘れ難いのは、2月に受け入れたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客だった米国人夫婦です。
60代の夫は入院後まもなく肺炎が重篤化しました。症例や治療法に関する報告がほとんどなく、正直助けられるかどうかさえわからない手探り状態の中、初めてECMO(エクモ、体外式膜型人工肺)を使って治療しました。約3週間かけて、エクモに続いて人工呼吸器を外せる状態にまで回復し、5月にようやく退院。付き添いを兼ねて一緒に入院してもらっていた軽症の妻も強いストレスを抱えながら、よく耐え抜かれたと思います。この夫婦から退院時に感謝の言葉をかけられたとき、「報われた」と感じました。
私たちが一番きつい状況に陥ったのは、実は2~3月頃です。当時、私たちは限界を超える患者を受け入れ、医療崩壊の危機を感じていました。そのため一般病院での患者の受け入れ分担を強く求めました。
このとき、私は「この問題は国民全体に共有されていない」と孤立感を深めていました。患者と向き合う前線の医療スタッフは大変な思いをしているのに、世間はまるで他人事のようだと。患者が増えないよう十分な努力も協力もしてくれていないという不満が募っていました。今より4キロも痩せ、テレビ出演した際などに友人たちから「大丈夫か」と心配されるほどでした。精神的にも追い込まれていたのです。
転機は4月の緊急事態宣言です。これで多くの国民にとって我が事になった、と感じました。外出自粛や3密を避ける、といった感染症対策もそうですが、多くの医療機関がPCR検査や入院患者の受け入れに真剣に取り組んでくださる流れが加速したのもこの時期です。