瀬戸内さんが桐野さんに書いたサイン
瀬戸内さんが桐野さんに書いたサイン

 そんな岩波ホールでの日々を桐野さんのエッセイで知った。

「会報の編集は楽しかった。当時はメールもファクスもなく、いろいろな作家の家に原稿を取りに行かされたものである」(週刊文春CINEMA!2022夏号)

 忘れられないのは詩人茨木のり子と吉祥寺駅前で待ち合わせした時。

「『お話があるのでお茶を飲みましょう』と仰(おっしゃ)る。恥ずかしいことに、私は現金の持ち合わせがあまりなかった。おたおたして謝ると、優しく『いいんですよ』と微笑まれた」

 依頼したのはホールで上演した演劇の感想だったが、茨木の話とは「申し訳ないけれど、あまりよい感想を書けなかった。それでもいいですか?」

 何と率直な人だろう。桐野さんは原稿を届けるなり詩集を買う。「茨木さんのお仕事も知らずに、原稿を取りに行った自分が恥ずかしかったのだ」

「社員になるまで、桐野さんはどこの馬の骨ともわからない私に優しくして下さいました」と前出のはらださんが語る。

 桐野さんは程なくホールを辞めるが「それからは、彷徨とも言うべく寄る辺ない道をとぼとぼと一人で行くことになるのだが、岩波ホールの思い出は濃く、忘れることはできない」と綴(つづ)っている。

 若かりし桐野さんの後ろ姿が神保町の雑踏に重なった。青春映画の一シーンのようだった。

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。小説現代新人賞、アジア太平洋放送連合賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞。新刊「松本隆 言葉の教室」(マガジンハウス)が好評発売中

週刊朝日  2023年1月6-13日合併号

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