近年、豪雨の被害が続いていて、コロナ禍が続いている今年くらいは勘弁してほしいと思っていたが、自然はそういう調整も許してくれないらしい。こうも災害が続くと神頼みさえしたくなるが、この夏は神々の怒りを鎮めるために始まった祭りの多くが中止や延期になっているのだから、それさえもなかなか難しい。
●お祭りが地元の経済に影響を与えるわけ
今週は、四万六千日という観音さまの法要があった。これは浅草寺から始まった観音菩薩を本尊にするお寺などで行われている行事である。毎年、境内には「ほおづき市」が立つことから、ほおづきまつりと呼ばれることもある。
今年は四万六千日の法要は各お寺で行われ、浅草寺でもこの法要日に限り授与される「黄札」や「雷除札」「災難除守」も配布された。しかし、嵐の中でも飾られていた「ほおずき」がどこにもない境内はやはり寂しい限りだ。全国各地でこのような状況であるということは、露天商の方々の苦境は計り知れないものがある。そうでなくても天気や気温によって売り上げが左右される水もの商売、「どこでもいいから祭りをやってくれ!」と願っていることだろう。
●発展の陰に参拝者の数があり
お寺や神社というのは、昔からその土地の繁栄に強い影響を持ってきた。参拝者の多い寺社ともなれば、そこへ行くための道路さえも整備されたのだ。たとえば、都民ならばよく知っている「ニーヨンロク」(国道246号線)とは、千代田区から沼津まで続く道だが、江戸時代に強力に整備されたのは大山詣(現在の大山阿夫利神社と大山寺への参拝)のためだったし、目黒通りは目黒不動尊や浄真寺(九品仏)へ向かう街道を大正時代以降に拡張して整備した道である。
境内付近には各種の店舗が並び、有名なところでは「お江戸日本橋」という歌にも登場する「万年屋」なる茶屋は、川崎大師への参詣者で大変繁盛したという。
●筆者の参考書「江戸名所図会」とは
江戸時代に流行した江戸のガイドブックともいえる「江戸名所図会」は、地方から出てきた人たちにとって重宝なものだったらしいが、記載されているほとんどが、神社仏閣に関係しており、現在、筆者もずいぶん参考にさせてもらっている。もちろん、著名人の史跡や季節の風物詩や名物なども紹介されているが、いずれも有名どころの寺社に関係していたり、由来にお寺の歴史が関係していたりと市井の人たちの生活にかなり貢献をしていたのである。