●江戸時代の浅草寺の繁栄を知る
この「江戸名所図会」の中で45ページにもわたり詳細に紹介されているのが、上記の浅草寺である。これほどの紙幅を割いている名所は他にない。浅草寺の歴史や伽藍(がらん)の紹介もかなりされているが、それと同じくらい、季節の祭りの盛り上がりや境内にどんな店やイベントがあるかをつぶさに紹介している。門前には、料理屋、うどん屋、そば屋、浅草餅、大仏餅、羽二重団子などの店が広がり、薬屋や張り子の人形を売る露天もあった。大ちょうちんが提がる雷門前に、名酒「隅田川」と表記がある。隅田川の水で仕込んだ酒は江戸で人気となり名産品となる。
●楊枝が浅草名物になったのは
中でも、絵入りで紹介されている「楊枝(今の歯ブラシのようなもの)店」ページでは、浮世絵の美人画にも登場した、「柳屋お藤」「蔦屋お芳」「堺屋おそで」の三人娘の影響で、この地の名産となったと記す。このように浅草寺には名産品が誕生しただけでなく、ほかにも境内には、番所や芝居小屋、矢場もあってまさに1日遊べるテーマパークとも言えたのである。
今、仲見世がある場所に「二十けん茶屋」が並んでいる。現在では、仁王門(現在の宝蔵門の位置)の内側に店はないが、江戸時代には本堂の脇にも裏にも店が広がっている。その景色が見られるのが、まさに「ほおづき市」をはじめとするお祭りが開催されている期間なのである。浅草神社の祭り・三社祭(例年は5月)も10月に延期となっているが、果たして催行となるか心配の限りである。
●江戸時代から続く老舗が浅草寺門前に今も
コロナ禍前の浅草寺は、海外からの観光客の増加も相まって平日でも大変なにぎわいだったが、江戸時代から続けてずっと人気だったわけではない。昭和20年の東京大空襲で本堂や五重の塔などを焼失し、昭和時代は衰退の一途をたどっていた。
それでも、浅草寺近隣には江戸時代から続く店がいくつか残っている。雷門前では、和菓子の「龍昇亭・西むら」、天ぷらの「三定」、七味唐辛子の「やげん堀」、仲見世にも小物販売の「銀花堂」、甘味処の「浅草梅園」などが今も営業を続けているし、浅草寺裏の足袋仕立「めうがや」は創業150年を超えている。
歴史をひもとけば、神社仏閣が衰退すると街自体が縮小してしまう傾向がある。都市部でさえそうなのだから、地方都市はなおさらである。そういえば築地にはいくつか寺社があったが、新しい街・豊洲にはひとつもない。あながちジンクスとはいえない何かしらの力が働いているのではないかと、今でも参拝者を集める寺社と華やかな土地の関係をリストアップしてみようかと考えているところである。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)