いま思うと、来るもの拒まず、の色川さんの生き方は決して楽なものではなかったろう。あまりの交友関係の広さと誘いの多さに、色川さんは「純文学を書く時間がない」と、岩手県の一関市に転居し、そこで亡くなった。六十歳。心臓破裂だったという。
色川さんと文学論めいた話をしたことは一度もない。それは当然のことで、当時のわたしにはその資格も資質もなかったのだが、色川さんがミステリーを嫌っていたのは確かだった。色川さんは登場人物の行動に意外性が乏しく、伏線を段階的にトレースしていく、いわば構成主義的な小説が気に入らなかったのだと思う。目的より過程、均整より破調、色川さんは「普通の小説を書きましょう」と勧めてくれたが、わたしにとって“普通の小説”ほどむずかしいものはないし、いまもその考えは変わらない。
──ミナミを案内した晩、「今日も麻雀をしますか」と色川さんにいった。「阿佐田哲也が麻雀の誘いを断るとでも思いますか」と、色川さんはいい、我が家で卓を囲んだ。
明け方、戦いを終えたとき、色川さんがよめはんにいった。「敗戦証明書を書きます」と。よめはんはよろこび勇んで色紙とサインペンを持ってきた。それが、『87年6月28日 早朝ニ至ル一戦ニテ マサニ完敗イタシマシタ 両三年修業シテ 出直シテマイリマス──』の色紙だ。
黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する
※週刊朝日 2020年8月7日号