ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は雀聖・阿佐田哲也との親交について。
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阿佐田哲也・色川武大さんが『海燕』という小説誌に『狂人日記』を書いていた(その後、読売文学賞を受賞)ころ、京都へ遊びに来たことがある。一日目はわたしが京都を案内し、夜は河原町の雀荘で麻雀をした。二日目は大阪のミナミを案内したが、色川さんは歩いている途中、突然、御堂筋の街路樹のそばで座り込んだ。ナルコレプシー(通常、起きている時間帯に場所や状況を選ばず、自分では制御できない眠気におそわれる睡眠障害とされ、突然の筋力低下をともなうことが多い)の発作だったが、知ってはいてもびっくりしてしまう。わたしはそばでようすを見守っていたが、二、三分もすると色川さんは目覚めて、なにごともなかったように立ちあがって、また歩きだす。
東京のお宅で麻雀をしているときも、よく居眠りをして、「はい、色川さんの番ですよ」と起こすと、ハッと眼をあけて起家マークのプラスチック札を摸牌したりするサービスもしてくれた。ほんとうに眠いときは「少し寝ます」といって自室にあがり、二十分ほどすると麻雀部屋に現れて、「さ、つづけましょう」と椅子に座った。色川さんの麻雀はプロ好みの“渋い打ちまわし”で、わたしのような“アガってなんぼ”のドラ麻雀とはまるでちがう打ち筋だった。牌のツモも切りも、そのモーションは流れるようにスマートだった。
そうして夜明けまで麻雀をしたあと、色川さんは風呂をわかす。「今日は手と足を洗います」
編集者のあいだでは、風呂に入らないひと、という評判だったが、本人は洗うのが面倒だといっていた。「黒川くん、──しますか」二十も年下のわたしに対して、色川さんはいつも丁寧な言葉遣いだった。
「人間、三十をすぎたら目上も目下もない。みんな対等の友だちです」色川さんはそういい、自然体でつきあってくれた。わたしは色川さんの享年をとっくにすぎているが、いま、若い人たちとそんなつきあいができているのか──。自問してみるが、自信はない。