アルバムジャケット(写真提供:なりすレコード)
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参加メンバーの中心となる「カーネーション(with 棚谷祐一、鳥羽修、張替智広)」(写真提供:なりすレコード)
参加メンバーの中心となる「カーネーション(with 棚谷祐一、鳥羽修、張替智広)」(写真提供:なりすレコード)

 本職はドラマー。けれど、これまでに様々なユニットやバンドのメロディーメーカーとして、多くの曲も発表。陰となり日なたとなってバンドの屋台骨を支えつつ、歌の神髄もちゃんとわかっている男。それが矢部浩志(やべ・ひろし)というミュージシャンだ。

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 その矢部浩志が現在、病気と闘っている。急性骨髄性白血病と肺炎の治療のため入院中だという。そんな矢部のためにミュージシャン仲間たちが立ち上がり、制作したトリビュート・アルバム「HIROSHI YABE SONG BOOK~矢部浩志カバー・アルバム」がリリースされた。

 矢部は1963年石川県出身。一般的にはそれほど知名度は高くないかもしれない。だが、かつて「カーネーション」のドラマーとして、端正な面持ちでしなやかなドラミングを見せて(聴かせて)いた……といえば、「ああ!」と気づく人も多いだろう。その「カーネーション」に85年から2009年1月までの約24年間在籍。わけても、1990年代以降、カーネーションがグルーブ感のあるロック・バンドへとシフトし、「It’s a Beautiful Day」「Edo River」といった代表曲で、弾力あるリズムを見事に支えていた。ベースの大田譲とのコンビネーションも抜群。エネルギッシュな直枝政広のボーカルと一体となって、洗練されたスタイルへと導いていった立役者と言ってもいいだろう。

 矢部は「カーネーション」でソングライターとしても活躍した。加入当初はメイン・ソングライターでもある直枝と共作という形だったが、94年のアルバム「EDO RIVER」あたりから単独で作曲した作品を発表する機会が増え(作詞は直枝)、その都会的なポップセンスが開花していった印象がある。筆者は特に「さよならプー」「サマーデイズ」(「EDO RIVER」収録)、「Something’s Coming」(96年「GIRL FRIEND ARMY」収録)、「レオナルド」(97年「booby」収録」)といった90年代中盤の矢部の曲を聴き、ちょっとフェミニンなメロディーと優美なコード展開に心引かれたものだ。そう、矢部の作る曲には、女性へのリスペクトとも思える甘美で柔らかな感覚がある。

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岡村詩野

岡村詩野

岡村詩野(おかむら・しの)/1967年、東京都生まれ。音楽評論家。音楽メディア『TURN』編集長/プロデューサー。「ミュージック・マガジン」「VOGUE NIPPON」など多数のメディアで執筆中。京都精華大学非常勤講師、ラジオ番組「Imaginary Line」(FM京都)パーソナリティー、音楽ライター講座(オトトイの学校)講師も務める

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