その後も保守・右派による批判は続いた。2012年暮れに第2次安倍政権が発足し、13年には橋下徹大阪市長(当時)が「慰安婦制度は必要だった」などと発言。慰安婦問題への注目が高まった。朝日新聞は14年春に改めて検証取材班をつくり、筆者も加わった。吉田証言の矛盾点を確認し、証言を「虚偽」と判断して一連の記事を取り消すという、97年よりも踏み込んだ姿勢を紙面で明らかにした。

 ただこの対応は、いかにも遅すぎた。最初に吉田証言の記事が出た1982年から32年後。秦氏から疑義が示されてからでも22年もたっていた。しかも「反省」を示しながら「謝罪」がなかった。社内では「謝罪がないのは開き直りに見える」と懸念する声もあったが、「おわびをすると慰安婦問題全体を否定したと受け取られ、かえって信頼を損なう」との反論が出て、謝罪しないことになった。この判断が裏目に出たことになる。

 朝日新聞が過去の報道姿勢を問われ、検証記事を出すことは何回かあった。たとえば筆者は1997年、2002年、04年の3回、拉致問題や帰還事業など、北朝鮮に対する報道を検証する記事の取材班に参加した。いずれもこれまでの日本と朝鮮半島の関係史を伝え、朝日新聞や他紙がどう報道したかを振り返るものだった。各方面からの批判に紙面でまとめて答える形をとり、記事の掲載をもって説明を尽くしたことにしていた。

 慰安婦問題でも、1997年の慰安婦報道検証や、慰安婦問題を扱った「女性国際戦犯法廷」をめぐるNHK番組改変問題についても、検証記事が掲載されている。

 しかし、これまでに検証記事が掲載された1990年代後半や2000年代前半と、今回の記事が出た2014年とでは、明らかに日本社会の受け止め方は違っていた。

 マスメディアが情報発信をほぼ独占していた時代から、SNSによりだれでも発信ができる時代になった。アジア近隣諸国との関係や戦争などの近現代史をめぐる日本社会の認識も、かなり変わった。

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