『上野千鶴子がもっと文学を社会学する』上野千鶴子著
朝日新聞出版より発売中


 おおぐま座でわかりにくければ、北斗七星といえば、わかってもらえるだろう。冬にはまだ地面近くにあるが、春に向って空高く上がってゆく。そのひしゃくの柄の端から2番目にある2等星が「おおぐま座のゼータ」、別名ミザール。およそ400年前、望遠鏡によって見つけられた最初の連星系。すなわち、肉眼では一つにしか見えないが、重力によってお互いに影響を受け合う「連星」だ。だが、真に驚くべきは、そのことではない。それから300年以上過ぎて、「連星」の片割れ「ミザールA」に、望遠鏡でも見えない、もう一つの片割れが発見されたのだ。歴史上初めて、「理論」によって発見された「(分光)連星」である。「見えない」けれども、間違いなくそこにある。天文学ではよくある発見だ。未知の惑星も、ブラックホールも、そうやって見つけられてきた。ぼくがそれを知っているのは、ぼくが天文少年だったからだ。ぼくの中にはいまも、天文少年だったぼくが生きている。

 暮れからずっと上野千鶴子の書いたものを読んでいた。多くはすでに読んだものだが、まるで初めて読む気がするものもあった。もちろん、ほんとうに初めて読むものも少なくなかった。そして、そこには、ふたりの上野千鶴子がいるように思えた。いうまでもなく、文学者・上野千鶴子と社会学者・上野千鶴子である。 かつて上野千鶴子は文学者だった(およそ十年ほど俳人であった)。そして、文学を去って社会学へ転進した。それが、ぼくたちの知っている彼女の歩みである。だが、人はそんなに簡単に「転進」できるのだろうか。文学者・上野千鶴子は、いつ社会学者・上野千鶴子になっていったのか。あるいは、いま、文学者・上野千鶴子は、「どこ」にいるのか。そんなことを、ずっと考えていた。

 上野千鶴子の単著で「文学」ということばが入っているのは、『上野千鶴子が文学を社会学する』だけだ。ぼくは、その文庫版で解説を書いた。その中で上野千鶴子は、すぐれた文学者としてふるまっている。正確にいうなら、すぐれた文芸批評家として行動している。対象としたどのテーマに対しても、当時、文芸批評家としての看板を掲げた誰よりも鋭く切ってみせた。その切れ味の鋭さは、文学者・上野千鶴子のそれではなく、社会学者・上野千鶴子のそれであるように見えた。図式的ないい方になるが、ぼくたちが、そこで見たのは、「文学者」と「社会学者」の「連星」である上野千鶴子だったように思う。どちらの美点も持った著者の手による心躍る本だった。およそ二十年後に刊行される、この「文学」という名詞を冠した二冊目の本を読み、ぼくは時の流れを感じた。前書と異なり、ほとんどが他人の本の解説であるせいだろうか、上野千鶴子は、ずっと「うしろ」にいる。「うしろ」にいて、その著者や、著者が書こうとしたことを支える側に回っている。だから、文学者・上野千鶴子の姿は見えにくい。

 いや、そうではない。「見えない」けれども、そこにいるのだ。ずっとそうだったのだ。ぼくたちが気づかなかっただけだ。彼女は、一度たりとも、文学者であることから離れてはいなかったのだ。

「たとえ手遅れでも……わたしの場合は手遅れだった。にもかかわらず、『死者も成長する』。死者との関係にさえ恵みはある日訪れる、自分が生きてさえいれば」(P72)

「わたしは運命と慣習に抗って、子どもをつくらないことを選択した女だ。その選択にまったく後悔はない。親になることばかりが成熟への道ではない。だがわたしの選択に人類の運命を変える力はない。わたしひとりが産んでも産まなくても、生命は続いていくだろう」(P132)

「『老い』は孤独である。いや、もっと正確に言おう。『老い』は、人間が孤独であるという事実を、粉飾なしに自他ともに思い知らせてくれる点で、ひとつの覚醒である」(P233)

 文学者とは、自分自身についてことばにせざるを得ないという宿命を受け入れる人間のことだ。そのとき発されることばが、否応なく美しくなってしまう人間のことだ。そして、どんなに否定しても、こんなことばが漏れ出るのだ。だから、上野千鶴子の書くものを読むとき、それがどんなものであっても、ぼくは遥か天空を見上げ、そこにあるはずの、「見えない」もう一つの星を探すのである。