芸大を出て、よめはんといっしょになり、まっとうな社会人になったころ、梅田のレコード店に勤めていた高校時代の友だちがボブ・ディランやオールマン・ブラザーズ・バンドのアルバムを持って家に遊びにきた。酒を飲みながら聴こうというわけだ。友だちはわたし以上のロックフリークだが、ジャズもブルースも演歌も聴く。彼がかけたアルバムをなにげなく聴いていて、わたしはハッと我に返った。
これ、ブルースやで──。森進一だった。
「このLP、おくれ」
もらって何度も聴いた。演歌は日本のブルースかも、と認識を新たにし、八代亜紀やクール・ファイブ、ちあきなおみのアルバム(最後のオリジナルシングル『紅い花』は名曲です)も買った。
東京から編集者が来ると、キタかミナミで食事をしながら打ち合わせをし、あとは飲み会になる。麻雀のできる編集者だと十時ごろには切りあげて雀荘に流れるのだが、そうでないときはスナックやゲイバーへ行く。わたしは酔うと話をするのがめんどうになるから歌をうたう。“カラオケ千曲爺(じじい)”がわたしの異名だ。
なぜ千曲か──。むかし、カラオケの本は五百ページくらいあったが、各ページに二曲は歌える曲があったから、それで“千曲おやじ”。いまは“千曲爺”を標榜している。ただし“歌える”と“うまい”は一致せず、よめはんにはいつも釘を刺されている。
「外で歌いなや。誰も耳栓持ってないんやから」
黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する
※週刊朝日 2020年9月25日号