著名人の自死が続いている。それぞれの事情はわからない。だが、いま社会を覆うコロナによる不安と無縁とは思えない。人と人を遠ざけたコロナ。奪われた日常。何が変わってしまったのか。AERA 2020年10月12日号から。
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6カ月半ぶりに再開したシアターコクーンに行ったのは、また一人、芸能界で活躍していた女性が死を選んだと報じられた翌日、9月28日だった。
消毒、検温後に入場。名前、座席、電話番号、メールアドレスを紙に書いて提出。一つおきに座り、舞台に近い人にはフェイスシールドの貸し出し。東京・渋谷の厳戒態勢。そこで「十二人の怒れる男」を見た。
■誰かの前向きに傷つく
パンフレットを購入した。今年1月、シアターコクーンの芸術監督に就任した松尾スズキさんの文章が載っていた。
依頼され1年迷ったこと、知れば知るほど芝居は怖いと思うこと、それでも引き受けたのは「初めてコクーンで上演した時、怖くなかったから」。そんなことを綴っていた。そして最後は、新型コロナウイルスの話。
──いざ就任した途端、私が決めたラインナップは、コロナで次々に頓挫していったのだ。ショックだったが、デフォルトに「怖い」を搭載している私は思ったほどくじけていない。怖さを知っているということは、怖さへの耐性ができているということだ。芝居が潰れた、じゃあ、劇場はどうする。二の矢三の矢を考えろ、松尾──
自分への自信、自分を鼓舞しなくてはという気持ち、どちらもが表れる前向きな文章だった。心が、チクッとした。前向きな人を見ると、少しだけ傷ついたような気持ちになる。
ダメな感情だとわかっている。だけど、コロナが広がるにつれ、よるべのなさを感じるようになった。よるべのなさが連れてきたのが、「誰かの前向き→少し傷つく」という感情。コロナが収束しないから、ずっと心の中にすみついて、いつまでも消えてくれない。
フリーランスという立場のせいだと思っていた。先行きが不安だから、充実している人と比べてしまうのだ、と。だけど、徐々にそれだけではないような気がしてきた。