女房には「付き合った期間が短いから」と、結婚を渋られたこともあったけど「結婚してから恋愛すればいいじゃないか」というのが口説き文句だった。結婚に踏み出せない男は、俺の怒涛の寄り切りとこの口説き文句を使ってもいいぞ!(笑) そもそも結婚に対して、ちゃんと手順を踏んで環境が完成されて、夢見たまま輝き続けなきゃいけないと思っている人もいるかもしれない。でもね、結婚してからいろいろなことを積み重ねて、構築していくことが結婚生活なんじゃないかな。苦労しても「あのときは大変だったね」「そうだったね」と言い合える人がいるっていうのはいいもんだよ。
さて、俺自身の運を総括すると、もともとは田舎にいて、13歳のときに相撲から勧誘が来て「将来、相撲に行かなかったことを後悔するのは嫌だ」と思って、運試しのつもりで相撲の世界に飛び込んだのが出発点だ。相撲時代、プロレス時代と大変な目にも遭ったけど、不思議と運の良し悪しは考えなかった。
農家ではその日、その季節にやることをやらないと生きていけない。嵐だろうが雷だろうが春に田植えをしなきゃ秋にお米を収穫できないし、冬は雪が積もったら雪かきだ。相撲ではその日その日の勝った負けたで番付が上がったり下がったりと、プロレスでも次から次へと対戦相手や敵、難題が現れて「目の前にあることを打破していかないと何も始まらない」「その日一日を一生懸命に生きないと明日はない」と、引退するまでずっと何かに追われるような日々が続いていた。今は十分に食べることができるし、何かに追われるような生活でもないから、とても贅沢で幸せな気分だよ。70歳まで生きてきて、普通に生活できて、俺の事を大事にしてくれる家族や友人、ファンがいるということは、結果的にいい運の人生だったということになるんじゃないかな。
え? 趣味の競馬の運はどうかって? あぁ、こればっかりはツイてないよ!(笑)。
(構成・高橋ダイスケ)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。