50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは? 今回は「運」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。
【写真】都会で手に入ったら「運」がいい? 天龍さんの大好物の秋の味覚はこちら
* * *
運がいい人と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、ジャイアント馬場さんだね。馬場さんは読売巨人軍でプロ野球選手としてやっていたけど、ケガで辞めざるを得なかった。でも、力道山関からプロレスの世界にスカウトされて、アメリカ修業時代には大きな日本人として注目されてね。浴衣と下駄でニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンを練り歩いて人気を得た。日本でもスター選手で、自分の団体まで持って成功させているからね。
プロレス取材で大勢のスポーツ記者が来ていたけど、馬場さんが巨人で投げていた姿を実際に見たことがあるのは一人くらいしかいなかったなぁ。プロ野球よりもプロレスで大成したのも強運だよね。それに、プロ野球の「名球会」の面々がよくハワイに行っていて、馬場さんもハワイが好きだから偶然一緒になるんだけど、プロ野球でものすごい実績のある選手たちも、馬場さんに対してはすごく敬意をもって接していて、それも馬場さんにとっては気持ちよかったと思うよ。名球会の人たちもプロ野球から違う世界で成功した人として尊敬してくれていたんだろうね。
楽ちゃん(6代目三遊亭円楽)との交友が始まったきっかけも馬場さんだ。楽ちゃんと馬場さんは麻雀仲間でね、楽ちゃんが二つ目時代に独演会に馬場さんが誘われていたんだ。でも、馬場さんは「天龍は(楽ちゃんと)中学の同級生だろう。お前が行ってこい!」って代理で俺がその独演会に行くことになったんだよ。そしたら楽ちゃんも「よく来てくれたね」って歓迎してくれて、その日に飲みに行って付き合いが始まったんだ。中学のときは彼は不良グループにいて、俺ら田舎から出てきた連中は鼻持ちならなくて気に食わなかったようだから、当時は交流がなかったんだ(笑)。