イースタンで本塁打王3度、通算120本塁打の大森剛(巨人-近鉄)も“2軍の帝王”と呼ばれたが、通算110本塁打の“ミスター・ウエスタン”中村良二(近鉄-阪神)は、1軍では0本塁打に終わった分、2軍での無双ぶりが際立っている(※大森は一軍で通算5本塁打)。プロでは大成できなかったが、近鉄時代、佐々木恭介コーチが夜通しマンツーマンで指導してくれたことが忘れられず、「僕もそんな選手の気持ちをわかってあげる指導者になりたい」と指導者に転身。現在は母校・天理高の監督を務める。
次は2軍で“無双”した投手を紹介する。最も多く勝ち星を挙げたのは、通算63勝の小野和幸だ。
西武ルーキー時代の81年、イースタン年間最多記録の15勝を挙げ、“和製バレンズエラ”と注目された。
「2軍監督の岡田(悦哉)さんが年間70試合の3分の1近く(33試合)も登板するチャンスを与えてくれたという意味で、今でも感謝しています」。
当時の西武はリーグきっての投手王国とあって、1軍では「先発6~7番手で、雨で中止になると、スライドせずに飛ばされる」不遇な立場。1軍での出番に恵まれない分、2軍のエースとして通算43勝を挙げた。
88年、中日移籍1年目にリーグ最多の18勝を挙げ、優勝に大きく貢献も、翌年、「もっと球威を増そう」と無理なフォームで投げた結果、制球が甘くなり、勝てなくなった。だが、2軍では格の違いを見せ、92年に8勝0敗でウエスタンの最高勝率。ロッテ移籍後の95年に63勝目を挙げ、イースタン46勝、ウエスタン17勝のトータルで、ウエスタン歴代1位の山村達也(近鉄)の62勝を抜いて、2軍通算最多勝となった(イースタンは、巨人、ロッテに在籍した田村勲の51勝が歴代トップ)。
現役引退後、ロッテのコーチになった小野は「ファームといえども、63もよう勝ったなというのが正直な気持ちです。でも、これらのすべてが今の自分の財産になっていると実感します」と回想している。
小野、田村、山村のいずれも1軍で勝ち星を挙げているのに対し、1軍未勝利で終わったのが、イースタン歴代2位、通算49勝の厚澤和幸(日本ハム)だ。