●龍馬のそばにも分骨されたおりょう
信楽寺にあるお墓にある説明板には「坂本龍子の墓」と書かれているが、これを読んで驚いた。除籍簿によればおりょうの生年月日は嘉永3(1850)年6月6日とある。それが正しければ、龍馬と結婚したのは15歳の時、寡婦となったのは17歳ということになる。享年も56となるわけだ。ちまたで言われる生年よりも9歳も若いことになる。これはきっと何かの間違いだろう…。信楽寺では毎年秋に「おりょうさんまつり」が行われている。そしておりょうの骨は、龍馬が眠る京都の霊山護国神社にも分骨され、また、2005年に子孫により天龍寺・寿寧院墓地にある楢崎家のお墓の横に坂本龍子(西村ツル)の顕彰碑も建てられている。龍馬人気の高まりとともに、おりょう人気も上昇中というわけか。
いずれにせよ、おりょうの人生は、坂本龍馬と関わったことですっかり狂ってしまったに違いない。日本人初の新婚旅行は、龍馬とおりょうが寺田屋の襲撃で受けた傷を癒すことを兼ねた九州への旅が始まりと言われている。また、日本中をまたにかけた龍馬とともに、見聞を広げてしまった26歳の寡婦・おりょうには、上手く世渡りをする知恵が備わっただろうか。万が一、おりょうが17歳の少女だったら、海援隊の隊員たちから敬意を得ることはきっと無理だったに違いない。
もし、当時から坂本龍馬が今ほどの人気を得ていたら、おりょうさんの人生ももう少し生きやすいものに変わっていたのではないか。それでも墓守だけで生活していくのは困難を極めたとは思うが。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)