一筋縄でいかぬ人生を描く文豪の傍らに自由気ままに過ごした猫たちがいた。たとえ原稿用紙に修羅場が描かれる最中にも膝の上には幸福感が漂っていた。そんな作家と猫の暮らしぶりを、ご一読あれ。
【写真】書斎の火鉢に手をかけて眠ることから、ファンの間で「火鉢猫」と呼ばれた虎猫の「ジイノ」
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戦時下の疎開中を除き、猫を飼い続けた谷崎潤一郎は、とりわけペルシャ猫を愛した。未完の小品「ドリス」にはこう記されている。
<波斯猫(ペルシャ)のいいことは、日本猫や欧洲猫のやうに敏捷でなく、いくらか魯鈍(ろどん)なところがあつて、亡国的に、“おつとり”としてゐる。(中略)ちやうど育ちのいい、しとやかなお嬢さんのやうで、(中略)人間よりも繊細な心づかひをするやうに見える>
唯一の欠点は至る所で排泄(はいせつ)する癖だが、主人公は「何処でも好きな所へやりな、あとは己が拭いてやるから」と甘やかすのである。
実際、谷崎本人の猫への愛はこの主人公以上で、まるで女性を愛するがごとくに猫たちと接した。
晩年に亡くしたペルシャ猫「ペル」を剥製(はくせい)にして残し、書斎に置いていた。犬派の志賀直哉は、谷崎が口移しで餌を与える溺愛(できあい)ぶりを見て閉口したという。どんなに厳しい顔で仕事場から出てきても、猫を見るととたんに表情が和んだと伝えられている。
やはり猫を人間の女性に似ているとして愛したのが開高健。猫好き著名人の座談会で<かねがね私の観察によると、猫の一日の行動を書き記して、猫の名前を女の名前にすれば、そのままみごとに女を描いた小説になる>(「猫の似合う街 似合うひと」)と語っている。
子供のころから拾ってきた雑種猫を育てた開高は、その生涯のほぼすべての間、猫と暮らした。最大で同時に6匹を飼っていたこともあった。
<これまでにずいぶんたくさんのネコを飼ってきた。どんな貧乏をしてもネコは飼っていた。親子三人がブタのしっぽを食べるしかないような窮迫におちこんで毎日毎日を無我夢中にあがいてすごしたことがあったけれど、そういうときでもネコの一匹はきっと部屋のどこかにいた>(エッセー「抜く」)