晩年、最後の飼いとなったのがペルシャ猫と日本猫のハーフのメス「キン」。執筆中も隣にはべらすほどかわいがったが、南米取材中にキンが死ぬと、谷崎と同じように剥製にして居間に飾った。

 大佛次郎は猫のいない世界では生きていけないと考えていた節がある。

<来世というものがあるかどうか、僕未だにこれを知らない。仮りにもそれがあるならば、そこにも此の地球のように猫がいてくれなくては困ると思うのである>(エッセー「黙っている猫」)

 生涯で飼った猫は500匹以上にのぼるという。戦時中も猫のために疎開しなかったほどだ。猫について書いた膨大なエッセーの中の一編「暴王ネコ」に、<大小十三匹の飼猫を引連れて疎開出来るものではないから、運命と諦めるより他はない>と書いている。猫好きは自宅のあった鎌倉中の評判になり、多くの人が大佛家に猫を捨てに来たほどという。

『鞍馬天狗』など、多くの人気作を著したが、大佛本人は50歳近くになって書いた童話「スイッチョねこ」を「僕の一大傑作」と言って譲らなかったという。

 室生犀星は1928年、犀星が数えで40歳のとき、娘で作家の朝子のために黒猫をもらってきたのが始まりで、多くの猫を飼った。

<猫は時計のかはりになりますか。/それだのに/どこの家にも猫がゐて/ぶらぶらあしをよごしてあそんでゐる。>

 と始まる詩「猫のうた」など猫についての詩や小説を書き、猫好きとして知られだすと、自宅前にはたくさんの猫が捨てられるようになった。

「そのうちワシは猫屋敷の親父になってしまう」

 そう言いながら、たくさんの猫を飼った。虎猫の「ジイノ」は書斎の火鉢に手をかけて眠ることから、ファンの間で「火鉢猫」と呼ばれた。犀星はやけどしないように火力を調整したという。

 三島由紀夫の愛猫家ぶりは、流行作家の林芙美子にあてた手紙形式のエッセーに表れる。

<並外れて猫好きの私が、このごろは猫運がわるくて、立て続けに二匹亡くしまして、近ごろの仕事部屋は寂しくてたまりません>(「猫『ツウレの王』映画」)

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