ネットの高さが定められ、その上から攻撃を行うバレーボール。それを制するとすれば、身長の高さが有利とイメージする人は多いだろう。しかし、かつてはお家芸と言われた日本の女子バレーボールは、自分たちよりも上背のある欧米の選手たちと対等に渡り合い、世界の舞台で戦ってきた。コートの中にはいつの時代もチームをけん引する『小さなエース』が存在していた。
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大型化が進み始めた1980年代。女子の代表クラスのアタッカーは、だいたい身長175cmから180cmが妥当だった。それ故、170cmから175cmのプレーヤーは、コートの中でも頭ひとつ小さい。そんなハンデを乗り越え、見る者を魅了してきた女子バレーを代表するアタッカーたちをここで紹介していきたい。
トップバッターを飾るのは、1980年代に活躍した広瀬美代子(身長170cm)。三屋裕子、江上由美など大型選手が顔を並べるコート内で、華奢な身体を呈した正確なレシーブ、シャープなスパイクが印象的だった。まだリベロ制のない時代。守備の要として縦横無尽にコートを駆け回った。
1990年代には身長169cmながら豊富なジャンプ力を生かしたパンチのあるスパイクを繰り出すプレーヤーが登場。その名も佐藤伊知子(現東北福祉大女子バレーボール部部長)である。当時のセッター・中田久美が身長176cmとあって、それよりもはるかに小さかった。佐藤は攻撃力だけではなく、1992年バルセロナオリンピックでは主将を務めるほど強いリーダーシップも発揮。まさに『小さな巨人』として女子バレー界の歴史に名を残した。
1990年代後半以降は、テンポの速いトスが主流となり、スピーディーな動きでスパイクを打ち込むマルチプレーヤーが続々と現れた。その1人は、1996年アトランタオリンピックで最年少メンバー入りを果たした成田郁久美(旧姓・大懸、身長173cm)。成田は、2000年シドニーオリンピック出場を逃した女子バレーの低迷期と言われた時代を支えたエースだった。VリーグにおいてもNEC、久光製薬、パイオニアなどでアタッカー、リベロとして長きに渡って活躍した。