そのスピードシンボリを祖父(母の父)に持つシンボリルドルフは、無敗の三冠達成直後に出走したジャパンカップでカツラギエースの3着に敗れて初黒星を喫した後、名誉挽回をかけて84年の有馬記念へ。今度は逃げたカツラギエースをしっかりとらえて雪辱を果たした。翌年の有馬記念では1歳年下の二冠馬ミホシンザンを4馬身も突き放す圧勝。これによりルドルフは「七冠馬」の称号で呼ばれることになった。

 上記2頭と比べても劇的な有馬記念連覇だったのがグラスワンダーだ。デビューから無敗で朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)を制したが故障で長期離脱。翌年秋の復帰後は毎日王冠でサイレンススズカの5着と敗れ、次戦のアルゼンチン共和国杯も6着どまり。そのため有馬記念では二冠馬セイウンスカイやエアグルーヴ、メジロブライトらに次ぐ対抗馬の一角扱いでしかなかったが、グラスワンダーは直線で逃げたセイウンスカイをとらえて先頭に立つと、メジロブライトの追撃も封じ込んで復活勝利。これは外国産馬初の有馬記念制覇でもあった。

 翌年は宝塚記念で同い年のダービー馬スペシャルウィークに快勝したものの、秋は毎日王冠が辛勝でジャパンカップは体調不良で回避。またも順調さを欠いて有馬記念に臨むことになった。しかしレースでは直線でスペシャルウィークと激しく競り合いながらゴール。鞍上の的場均騎手も負けを覚悟した大接戦だったが、ハナ差で勝利を収めたのはグラスワンダーだった。ちなみに宝塚記念を挟んでの「グランプリ三連覇」はスピードシンボリ以来で史上2頭目の快挙となった。

 そんなグラスワンダーとは逆に衝撃の圧勝で有馬記念を連覇したのがシンボリクリスエス。2002年の初勝利時は、当時はまだ伏兵扱いだったタップダンスシチーをゴール寸前でとらえての優勝。翌年は史上初めて天皇賞(秋)の連覇を達成するもジャパンカップではタップダンスシチーらに先着を許して3着からの有馬出走だった。

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記憶に残るレースが多い有馬記念