その非難を見て、非難している人と同じ考えの人たちの同調が生まれる。「わぁ~竹山がそんなこと言いやがったのか!」「それは許せん!」とか書き込んだり、リツイートしたり。また、さらにそれを見た人が「私もそう思う」となって、そもそもの発言の真意がわからなくても、僕の発言へある1人の感情論での書き込みが、どんどんその集団の中でのうまい具合に勝手に拡がっていく。都合のいいようになっていくというのが、ものすごくSNSっぽいなと。

 ここ10年間ぐらい、日本も分断じゃないけど、対立の構造があるのも、そのSNSの都合のいい意見の拡がりのせいでもあるのかなとも思ったりする。例えば、「AERA」が白か黒かという意見のある記事で白寄りの記事を書いたとする。よく読むと「そういう意見もあるけどねぇ」という記事なのに、黒と思っている人からすると「クソAERAが、こんなこと書きやがって!」となるわけですよね。その非難している人の意見だけを読んだ人が同じように書き込むことが2~3回続くと、4人目くらいが見た時には「白」対「黒」の構造になるんですよね。

 原発を例にとると分かりやすく、「こうなんじゃないのかな?」と原発に対するぼんやりした意見でも「こいつは原発を推進している!」と、原発反対派の人たちは言い出したりする。それを見た原発反対の人が輪をかけて拡げていく。

 だから、バカはネットを触るな! と、ずっと言っている。感情論だけで発信するなっていうこと。俺のところに書き込まれたコメントに「そういうことじゃないですよ」って返したりすると、慌ててTwitterのアカウントを消す人がいるんですよ。俺がコメントしたことで、その人に書き込みが押し寄せてくることがある。その時に初めて気づくんですよね、「これ、本人見ているんだ」って。何も考えないで書き込んだりしている人は、俺はもちろん世の中の人みんなが見ていることを忘れているんだろうな。だからこそ、Twitterを見ていると人の悪口って多い。タレントに対して、政治家に対して、評論家に対して、とにかく悪口が多い。オジサンの評論家同士が悪口言い合っていたりね。そういう構造すべてが、気持ち悪いなって感じるところですね。

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優しいコメント、そんな言葉は響かない