彼ら以外にもこれまで多くの選手が10代でのJデビューを飾って来たが、やはり別格だったのが、小野伸二だ。1979年9月27日生まれ。清水商業高から天才と騒がれ、高卒で浦和レッズに入団した1年目、1998年3月21日のリーグ開幕戦からスタメン出場を果たすと、極上のタッチと左右両足から自在にスピンをかけたパスで次々とチャンスを演出。誰の目から見ても“特別”なことが即座に分かり、2戦目にはGKとの1対1に落ち着き払ったシュートで初ゴールを叩き込んだ。その年の6月には日本代表が初出場したW杯(フランス大会)のジャマイカ戦で後半途中からピッチに立ち、いきなり股抜きドリブルを披露。18歳272日でのW杯出場は、現在も破られていない日本代表史上最年少記録となっている。

 小野よりも昔、小倉隆史のデビューも鮮烈だった。1973年7月6日生まれ。四日市中央工高のエースとして国立を沸かせた後、名古屋グランパスエイトに入団。その1年目、1992年9月5日のナビスコ杯・清水エスパルス戦でプロデビューを飾ると、ゴール前での味方のパスに左足を合わせて初ゴール。“レフティーモンスター”の呼び名通りの強烈な左足だけでなく、突破力、キープ力、そして精神力とストライカーとしての能力をすべて持ち合わせ、その強烈な個性とカリスマ性で見る者を惹き付けた。アトランタ五輪を前にした右足後十字靭帯断裂の大ケガが、今でも悔やまれる。

 その他、Jデビューの年齢が若い順に、森本、宮吉の後、呉章銀(FC東京、16歳8カ月20日)、エスクデロ競飛王(浦和レッズ、16歳10カ月22日)、柿谷曜一朗(セレッソ大阪、16歳10カ月23日)、山本康裕(ジュビロ磐田、16歳10カ月25日)、阿部勇樹(ジェフユナイテッド市原、16歳10カ月30日)、堂安律(ガンバ大阪、16歳11カ月18日)、小松原学(ベルマーレ平塚、17歳0カ月9日)、宇佐美貴史(ガンバ大阪、17歳0カ月18日)と続く。

 彼らのその後のキャリアを見ると、10代での早期デビューを自らの成長に繋げていった選手もいれば、壁にぶつかり、下降線を辿った選手もいる。果たして久保はどうか。期待通り、世界の超一流選手になるためには、立ち止まってはならないということ。デビュー時に与えた衝撃を、常にアップデートし、常に進化して行かなくてはならない。