「もう将棋しかない状況に追い込まれて、最後のとりでの将棋を本気でやり尽くしてそれで結果が出なかったら救いがないじゃないですか。だからやりきらないで、やればできる自分という幻想を最後に残しておきたかったんだと思います」
恐らく当たっていると思うのだが、そこまで冷静に分析しなくても、という気にもなる。
■「将棋が強くても人として意味がない」
森は山崎について、やはり「子どものころから勝負には辛かった。将棋の勝負のことしか考えていなかった」と語る。
ある日、森が朝帰りをすると、中学校に登校しているはずの山崎がまだ寝ていたときがあった。
「お前、学校は?」
と訊ねても知らんぷりしている。
激怒した森が山崎の鞄を外に放り投げ、
「今から学校に行ってこい!」
と怒鳴った。
また森の友人が泊まりに来たとき、隣の部屋で山崎が奨励会仲間と将棋を指していた。深夜だ。友人が「山崎君は明日学校でしょう? 寝るように言わなくていいんですか」と気を遣うと、森は、「放っといてやって。今師弟関係は冷戦関係や」
友人は黙り込んだという。
山崎は一度、森から破門になりかけている。
それは阪神・淡路大震災が起きたときだった。震災当日、中学生だった山崎は森の自宅マンションで一緒に被災した。地震の影響で歪んだドアに身体をぶつけて外に出て、近くのアパートに住んでいた他の弟子のもとへ駆けつけた。震災で亡くなった森の弟子・船越隆文のことである。
すでにアパートは倒壊し、周囲一帯に非常警報が鳴り響くなか、船越の安否を確認するため捜索した。その途中で、山崎が公衆電話から将棋連盟に奨励会の対局について問い合わせたのが、森の逆鱗に触れた。
「今こんな大変なときにそんな心配をするとは何事だ。いくら将棋が強くても人として意味がない。俺はもうお前の面倒など見られないから、他の師匠でも探せ」
泣きじゃくりながらその場で許しを乞うたが、森の怒りは収まらず、内弟子を解かれて広島に一時帰らされた。14歳だった。広島の実家から奨励会の対局があるたびに新幹線で大阪へ通ったが、山崎は日に日に自分が「腐っていく感じ」にとらわれたという。