「内弟子といっても仕事は将棋の駒と盤を磨いたり、師匠の部屋を掃除したりするくらいでした。たいした用事もせず普通の家の子とそうは変わらないと思いますが、やはり緊張感はあったと思います」

 多感な中学生が、師匠とはいえよく知らない大人の男性と一緒に生活をするのはストレスが溜まるはずだ。よく決断したと思うが、山崎は首を振る。

「僕はなんでもいい、住めればどこでも良かったんです。棋士になるために全てを捨てて出てきたので、もう田舎に戻れない。みんなにプロになるといって出てきたので、ここしか居場所がないと思い詰めていました」

■「弱ければ死ねばいい」と思っていた

 高校には進学するつもりだったが、なんと公立高校の入試日と三段リーグの対局日が重なった。現在は学校を配慮して三段リーグは土日に行われるようになったが、当時は平日に行われていたのである。

「私立という選択肢もあったんですけれど、勉強もそれほど好きではなかったし、お金がけっこうかかるイメージもあったので、そこまでして行かなくてもと思いました。親は一応師匠に『高校ぐらいは行かせた方がいいですか』と尋ねたらしいんですが、『(試験日と対局が重なるのは)そういう運命やから』ということで、さっさと中卒が決まりました」

 山崎の当時の奨励会の先輩は、親から反対されてプロを目指している人が多かった。それぐらいだから将棋に対する覚悟が強かったかというと、山崎の目から見てそうは思えなかった。

「周りの景色が変わらなければ焦らない人たちでした。伸び悩んでる人たち同士が傷をなめ合う。なんかみんなで慰め合って、意外に将棋の勉強をしていないというのが子ども心に感じたことです。なんでこの人たちは将棋から逃げているんだろうな、将棋が弱いなら死ねばいいのに、ぐらいの気持ちでしたよ」

 弱ければ死ねばいい。山崎の苛烈な勝負観が表れている言葉だと思う。

 故郷を捨て、同世代の少年たちが学校に行く姿を横目に見ながら、師匠の家で黙々と盤を磨く。10代の山崎はそこまで尖っていないと、逆にやっていけなかったのかもしれない。だからこそ中年にさしかかった今、「死ねばいいのに」と思っていた奨励会仲間の気持ちが少しわかるようになった。

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「将棋が強くても人として意味がない」