「僕も東京の大学へ行って、演劇をやったりライターのような仕事をしたりしたかったんです。でも、それはできないと諦めていました」

 タケによれば、息子が葛藤を親に告げることは一切なかったという。ただ目標が持てず、学校の勉強がおもしろいとは思えなかった。帰宅すると、悶々とする心をなだめるように1時間も2時間もランニングをする。走る彼を包んでくれたのは、四季折々に美しい福島の自然だった。緑、風、光。真冬の雪の日も休まなかった。顔に雪が降りかかる感触は今も忘れられない。

 大学は自宅から通える国立福島大学に進んだ。国語が好きだからという理由で、教育学部の中学校国語科に入学。大学1年で萩原朔太郎の詩を知り、創作活動をしたいと思い始めた。2年生の時、ノーベル賞候補にもなったシュールレアリスム詩の巨人・西脇順三郎研究で知られる澤正宏(74)と出会う。当時教授だった澤は1年間詩論の講義を担当しており、和合はそれを熱心に聴いていた。

「ある時彼は、僕の部屋に入ってくると『詩人になりたいのです』と言いました。『これは大変だ!』と思ったけれど、書くにしても喋るにしてもよく言葉の出る男でしたから、可能性があると思いました。演劇をやっていたので、劇的な詩を書く時のコツみたいなものは持っていましたね」(澤)

 和合は詩作に没頭し、作品ができるとすぐ澤のところへ持っていった。
「当時の澤先生は徹夜で論文を書く方だったんですが、徹夜明けに僕がニコニコしながら詩を持っていくんですから大変だったでしょうね(笑)」

 澤は熱心に和合を指導し、「東京に住んでいないと詩人は不利だ」と塞ぎ込むこともあった彼に、こんなことを言った。「それは逆だよ。詩人というのは環境を変える力を持っているんだ。宮澤賢治がそうだ。郷里の花巻を『世界の花巻』にした。イーハトーブに引かれて全国から岩手まで来るんだぞ。それこそが本当の詩人なんだ」

 大学2年での、作家の故・井上光晴との出会いも忘れがたい。当時井上は「文学伝習所」を展開しており、全国で伝習所を開いては、ときには殴り合いが起きるほどの情熱を傾けて弟子たちを指導していた。文学熱を高めた和合は山形で伝習所が開かれると聞き、書いた詩を持参したのである。

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