詩人、和合亮一。東日本大震災発生の翌日、福島第一原発が爆発した。和合亮一がずっと住み続けていた福島が、放射能にさらされた。地震発生から間もなく、和合はツイッターで詩を呟きはじめた。それは怒りでもあり、故郷への思いでもあり、生きる術でもあった。和合の詩は、演劇になり、歌になり、今でも多くの人の心に届く。詩人としても、新しい境地を迎えようとしている。
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2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災発生。私の郷里である岩手県陸前高田市も地震と大津波に襲われた。その後はずっとテレビをつけっぱなしにし、パソコンでツイッターを見ながら情報収集を続けた。福島県では福島第一原発1号機がメルトダウン(炉心溶融)を起こし、12日には水素爆発で大量の放射能を放出。続けて3号機、2号機、4号機と事故は連鎖していった。
5日後、突然ツイッターに詩人・和合亮一(わごうりょういち)(52)の呟きが流れ始める。その数、3月16日だけで50近く。
「放射能が降っています。静かな夜です。」
「あなたにとって故郷とは、どのようなものですか。私は故郷を捨てません。故郷は私の全てです。」
「現代詩の旗手」と呼ばれた和合が、洗練された前衛的表現をかなぐり捨てて、生の言葉を叩きつけるように書き込んでいることに衝撃を受けた。すでに福島県からは続々と避難者が出ていた。
和合は当時勤務していた県立保原(ほばら)高校で地震に遭遇した。家の中がぐちゃぐちゃになりライフラインが途絶したため、しばらく福島市内の避難所で過ごしたが、原発事故はさらに彼を追い立てた。
「原発で働いていた教え子が、危ないと連絡をくれたんです」(和合)
だが両親は「故郷を離れたくない。お前たちは逃げろ」と言った。和合は両親と共に福島に残ることを決意し、妻と当時小学校6年生の一人息子を山形県に避難させた。福島では情報が錯綜し、人々はパニックになっていた。自分の命もどうなるかわからない。「これが妻子との今生の別れになるかもしれない」と覚悟した。