広島県福山市の城南中2年の時に、野球教室で評論家時代の原辰徳監督にスイングを褒められたことがきっかけで、大田は原監督の母校・東海大相模に進学し、高校通算65本塁打を記録。将来の4番打者として55番を託された。

「(55番は)重圧と言うより、うれしくて頑張れる。プライドにしてやっていきたい。ファンに『大田の打撃が楽しみで、巨人戦を見に来た』と言われる選手になりたい」と誓ったが、入団5年でわずか2本塁打と結果を出せず、14年から背番号も44番へ。「気持ちも心も心機一転変えて、44番で頑張ってみよう」と原監督から告げられた。

 同年の春季キャンプでは、臨時コーチに就任した松井氏のマンツーマン指導を受け、9月27日の中日戦ではプロ入り後初の4番に抜擢されたが、レギュラー定着への道は遠かった。

 だが、17年に日本ハムにトレードで移籍したことが、吉と出る。プロ9年目にして初めて規定打席に到達し、15本塁打を記録。19年には20本塁打をマークするなど、押しも押されぬ主力に成長。環境の変化が才能を開花させた好例である。

 現在は背番号5。くしくも現役引退後の松井氏が巨人時代「ずっと欲しかった」と打ち明けた“出世番号”で、さらなる飛躍を期している。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2020」(野球文明叢書)。

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