古賀茂明氏
古賀茂明氏
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福島第一原発に並ぶ処理済み汚染水の貯蔵タンク(C)朝日新聞社
福島第一原発に並ぶ処理済み汚染水の貯蔵タンク(C)朝日新聞社

 菅義偉総理は、福島第一原発の汚染水を海洋放出する方針を決めた。国内でも海外でも反対の声が高まっているが、それに対して、菅総理はどう考えているのか想像してみよう。

「海洋放出しかないことはとっくの昔にわかっていたのに、誰も決められなかった。今回は、批判を恐れず闘う勇気のある、この俺様だからこそ決めることができた」と誇らしい思いでいっぱいなのではないか。

 こうした菅総理の「闘う自分は格好いい」というナルシシズムは就任早々から発揮された。日本学術会議会員候補者の任命拒否はその典型だ。自民右翼層が数十年来狙っていた、政府による学術会議の支配に乗り出し、強い批判を受けた。だが、どんな批判にも動じず、一切譲歩しない。彼らの思想から見れば、ある意味当然な行動なのだが、誰もできなかった。それを断行した自分にご褒美をあげたいという思いだろう。こうした菅氏の美学の根底には、「国民は愚かだ」という哲学がある。すなわち、

 ──国民は馬鹿だから、俗論に惑わされて、間違ったことでも平気で正しいと思い込む。まともな政治を行うためには、そうした世論に負けずに自分が正しいと思うことを強行することが必要だ。思い切ってそれを実行すれば、後になって、必ず、自分が正しかったことは証明される。あるいは、時間が経てば、国民は忘れるものだ。だから、勇気をもって世論と闘うべきである──

 そして、世論と闘う自分は至高の存在と映る。時に、闘う対象が、世論ではなく、(菅氏から見れば)利権を守るために自分の言いなりにならない官僚、あるいは企業になることもある。

 だが、これはとんでもなく危険な哲学だ。

 なぜなら、世論の反対が強くても、自分の考えを修正する方向に働くのではなく、むしろ、頑なに自己の考えに固執する方向に作用し、異論を排除してひたすら自己を美化し、正当化することにつながるからだ。

 汚染水海洋放出に続き、菅総理のナルシシズムの対象になるテーマは何か。恐ろしいのは、日米首脳会談だ。本稿執筆時点では16日に会談する予定だが、バイデン大統領に何かとんでもないことを要請された時に、日本の世論が怖いからそれを拒否するということではなく、むしろ、世論が反発するからこそ、自分が決断してやるという行動に出る可能性がある。それをバイデン氏が持ち上げてちやほやすれば、なおさらそのリスクは増す。そんなことが起きなければ良いのだが。

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