50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「娘」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。
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今日、2021年4月25日は天龍プロジェクトが再始動して、1回目の大会がある日だね。そこで、今回は天龍プロジェクトの代表でもあり、俺の一人娘・紋奈のことを話そうと思う。なぜ、娘が天龍プロジェクトの代表になるまでプロレスにどっぷりになったのか、その理由が少~しはわかるかな?
実は俺が娘と遊んだという思い出は、自転車の練習に付き合ったことぐらいしかないんだ。俺も全盛期だったから毎日のように試合があって忙しかったからね。家で子守をする女房に任せっきりだったね。そこで、彼女がプロレスというものを認識する前から全日本プロレスの道場に連れて行ったもんだ。
道場に行くと娘は、俺が練習しているのを見ていたり、ベンチプレスの器具に座っておにぎりを食べたり、スープレックスの練習用の人形をバシバシ叩いたりしてね。俺はすっかり忘れていたんだが、冬木や小川が言うには「天龍さんにはよく『娘を風呂に入れてくれ』と言われた」そうだ。子守も後輩任せだったか(笑)。
それから、娘が小さい時は、夏になると庭にプールを広げて遊ばせるくらいかな。俺も日焼けできるしね。プールのあるホテルにもよく行ったね。娘は浮輪で浮かんで、同行している三沢や冬木がその浮輪を押して泳ぐ係だ(笑)。みんな、かわいがってくれたね!
娘と通った全日本の道場はもうないから、今の全日本の若いレスラーは知らないだろうな。娘は物心つく前から道場を体感していて、プロレス界のキャリアでいえば小川(良成)や小橋(健太)と同期くらいじゃないかな(笑)。娘が小さいころのイメージが強いから、会うたびに「紋奈ちゃん、何歳になったの?」と聞いて、30歳超えたあたりから「え~! そんなになったの!?」なんて、毎回驚いているよ。娘が幼稚園の時からイメージが更新されていないんだ。