ボクシング代表には日本大を卒業したばかりの木庭浩一が選ばれている。本県出身。76年に大学へ進み、同年のモントリオール大会の代表を目指すが、かなわなかった。その後、モスクワ大会を目指して着実に力を付けていく。大学2年、4年で全日本選手権に優勝し、2年のときにアジア選手権を制している。しかし、モスクワ大会の夢は断ち切られてしまう。木庭は当時の無念さを次のようにふり返る。

「リングに上がろうとするけど、相手の顔がぼやけて分からない。シューズやマウスピースがなくてリングに上がれない……。そんな夢を何十回と見た。『また、この夢か』と思っている自分もいる。代表に選ばれたけど、モスクワに行っていない。結果が出ていない。ずっともやもやしたまま、ここまで来たのかもしれない」(『熊本日日新聞』2019年11月15日)

■「悔しさがこみ上げてきました」

 体操の具志堅幸司は、日本体育大学学長を務める(取材時)。当時、同校を卒業して2年目の研究生だった。ボイコットの報せを聞いた時の心境を語った。

「ショックでした。自分の力ではどうしようもできず、何も抵抗できないまま終わるのかと思うと、悔しさがこみ上げてきました。私費でいいからモスクワに行かせてほしいと懇願しましたが、それは無理な相談でした。当時24歳で、次のオリンピックは28歳になる。それまで身体がもつかどうか、最初で最後のオリンピックを逃したのではないか、と心配しました」

 しかし、最初で最後にはならなかった。84年ロサンゼルス大会では金メダルを獲得する。

 ボイコット経験者として、具志堅はオリンピックのあり方にこう警鐘を鳴らしていた。

「戦争があればオリンピックは開催されない。平和の祭典であることを骨身に感じました。近代オリンピックの基礎を築いたクーベルタンは『スポーツを通じて平和でよりよい世界の実現に寄与する』ことをオリンピックの目的に掲げています、二度とボイコットがないようにしてほしい」

(文/教育ジャーナリスト・小林哲夫