かつて一九六四年の東京オリンピックには、それなりの意義も目的もあった。太平洋戦争後、やっと日本にも国力がつき人々も前向きにがんばっていこうとしていた。

 私はアスリートの真剣勝負はともかく、お祭り騒ぎが苦手なので、休みをとって初めての海外旅行にヨーロッパからソビエトまわりで帰ってきた。

 開会式を見て出かけ、帰国したら、東洋の魔女のバレーボールやアベベの走るマラソンに間に合った。私の勤めていた放送局では番組が五輪一色、私の担当番組はすべてなくなってしまった。

 そんな天邪鬼(あまのじゃく)の私でも高揚するものはあったし、国民が平和を謳歌することが出来たのだ。

 では今回の五輪はどうか。最初からついていない。さらにコロナという伏兵が襲い、無理があった。それを「とにかく開催」にこだわった挙句の現状だ。

 今からでも遅くない。中止しかない日本の現状をきちんと伝えるべきではないか。その姿勢を人々は拍手で迎えるはずだ。

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。主な著書に『家族という病』『明日死んでもいいための44のレッスン』ほか多数

週刊朝日  2021年6月11日号

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