鬼のことは許せない。しかし、自分の部屋に金魚をのぞきにきた、幼い子どものような禰豆子を見かけると、しのぶは思わず「見ますか?…金魚」と優しく語りかけてしまう。その悲しいほほ笑みは、禰豆子の心の中にずっと残った。
鬼殺隊の隊士たちは、決して鬼を殺したいわけではない。人間を捕食しようとする化け物との、ギリギリの命のやりとりに、殺さざるをえないのだ。鬼殺隊もまた生き地獄の中を戦い続けている。
■「鬼殺隊の一員」として認められた禰豆子
炭治郎と行動をともにする中で、弱い人間を守ろうと傷つく禰豆子の姿は、多くの隊士の心を動かす。柱合会議では、鬼化した禰豆子を連れていた炭治郎を「鬼もろとも斬首する!」と主張していた炎柱・煉獄杏寿郎もその一人だ。
<竈門少年 俺は君の妹を信じる 鬼殺隊の一員として認める 汽車の中であの少女が血を流しながら人間を守るのを見た 命をかけて鬼と戦い 人を守る者は 誰が何と言おうと 鬼殺隊の一員だ>(煉獄杏寿郎/8巻・第66話「黎明に散る」)
その後も、日光にその身を焼かれた時も、皮膚が焼きただれる苦痛の中で、兄に他者を助けるようにと禰豆子は笑った。
鬼である自分とあらがい、人を救おうとする禰豆子の姿は、鬼と戦う人たちの心に、さまざまな思いをもたらした。鬼は人間だった。すべての鬼は本当に「殺されるべき存在」なのか。しかし、それでもやはり倒さねばならない鬼がいる。
■「助けられる鬼」はいなかったのか
アニメ1期、劇場版と、物語が進むうちに、鬼にならざるをえなかった「かわいそうな鬼」の事情が次々と明らかになっていく。アニメ2期の遊郭編では、貧しい環境から遊郭で生きることを運命づけられた鬼が登場する。
兄に守られ、強い「柱」たちに保護された禰豆子と、誰にも助けられることのなかった鬼との対比は、読者や見ている者たちに「彼らを助ける道はなかったのか」と模索させる。