タバコがご法度の一方で、酒は体が大きくなるからと、10代でも相撲部屋では飲んでよかったんだ。あくまでも当時は、だからな! 浅草の6区あたりでも居酒屋やストリップ劇場では相撲取りは半額にしてくれたりと、大目に見てくれる風潮があったんだ。特に若い相撲取りは稽古が厳しくて、上下関係もあって、夜に出てきて憂さ晴らしするにはいいだろうって、甘やかしてくれてたんだろうね。当時は金もないのに飲み歩いていたよ。

 そうそう、その頃、雑誌で「ニューハーフのピーターが六本木で働いている」という記事を読んだ相撲仲間に誘われて、その店に行ったこともあるんだ。ピーターもいてチラっと見たくらいだったけど、とてもきれいな人だなと思ったね。

 そこで会計をしたら1万円ちょっとだったんだけど、2人合わせて8~9千円しかなくてね。そこで、2人でいざというときにへそくりとして持っていた、小さく折り畳んだ千円札を出し合ってね。デカい相撲取りが体を小さくして、ちまちま一枚一枚、千円札を広げている姿は、我ながらみっともなかったよ(笑)。後にテレビでピーターに会ったときにそのことも話したよ。本人にも話せたし、今では楽しい思い出だ。

 オリンピックの話に戻るけど、プロレスラーにはアマレスでオリンピックに出場した選手も多いだろう。ただ、俺は現役当時、相手に対して「元オリンピック選手」ということを意識することはなかった。今、こうして思い返してみると、特にマサ斉藤さん、長州力、ジャンボ鶴田は動きに無駄がなく、そつなく技術的に上手かったなという印象だ。そんなことよりも、オリンピック選手として選ばれて、アマレスの頂点を極めてからプロレスに入るまでに、いろいろな葛藤があったんだろうなと、彼らの気持ちを慮(おもんばか)る方が強かったね。

 アマレスだけでなく、柔道のアントン・ヘーシンクに対しても同様だ。彼は前回の東京五輪の柔道無差別級で金メダルを取って、その後、1973年に全日本プロレスに入っているので、親近感があるんだ。オリンピックで金メダルを取った彼が、どんな気持ちでプロレス入りしたのか、余計なお世話だろうけど、その気持ちを詮索するような気持ちになったもんだ。
 

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柔道といえばロス五輪の山下泰裕