「例えば新築マンションのプロモーション営業の仕事で顧客から、『予算がないから広告は打てない』と言われたら、『では、このエリアの付加価値を上げるクリエイティブ広告を作るので、住宅の価格そのものを上げましょう。値上げした差額の半分を広告費としてうちにください』と提案して、本当に完売させてしまう。雑誌の校了1週間前に『住人100人インタビューをやろう!』とむちゃ振りされたこともありました。めちゃくちゃしんどかったですが、仕事に一切妥協せず、達成に執着する姿勢や手法を学びました」
この「えげつないリーダー」の下で伸びる新人として、森もまた注目されていた。当時、同じ部門の営業チームに所属していた3期上の元同僚・野島亮太は、社会人1年目の森に「会社の枠では収まりきれない何か」を感じていたという。
「納得いかないことに対しては『これ、本当に意味ありますか?』と言える。言うだけじゃなく、行動して結果を出すから、周りも納得する。自然と信用を集めていましたね」(野島)
かく言う野島も19年春からスクーに参画し、執行役員として高等教育機関DX事業の責任者を務めている。野島を誘ったのは、やはりリクルートのカンパニー役員から転じた取締役最高執行責任者の古瀬康介である。古巣のベテラン勢が要職を捨ててまで転職を決めた事実が、わずか2年のリクルート時代の実績を物語っている。
2年目にはエース級の大型案件を任されていた森がリクルートを辞めたのは、東日本大震災がきっかけだった。多額の予算をかけて準備していた湾岸エリアのプロジェクトは、液状化現象によって全面停止に。森は初めて「成果ゼロ」の評定を受けた。突如できた空白の時間の中でふと「このままでいいのだろうか」と問いを重ねた。マンション広告に力を注ぐことが、世の中を変えるのだろうかと。そして同時期に受けたeラーニング研修で、講師が一方的に話すスタイルの講義だったことにも失望した。これだと学びたいと思っている人の機会を奪うのではないかと思った。学生時代からよく観ていた動画配信サービス「ニコニコ動画」のように、生放送の番組を同時に多くの人が視聴して、コメントで賑わいを作るような双方向性があれば、飽きずに学べるのに。「だったら自分で教育コンテンツを作ろう」と思い立った森は、翌日、会社に退職届を出した。
(文中敬称略)
(文・宮本恵理子)
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