■人は助けてくれない 偉くなって社会を変えたい
経営者となって11年の間に、つらい停滞期もあった。今や社員数は200人を超えるが、同じくらいの人数が辞めていき、経営陣はこれまで2度も総入れ替えになっている。しかし、森の口から恨み節は一切聞かれない。
「全部、自分の力の結果だと思っているんです。仮に要職を任せた人が何かアクシデントを起こしたとしても、僕が信じた人がやったことなら仕方がない。無理に入社をお願いしにいくこともありません。お互いに対等な関係で、たまたま目指すビジョンが一致する人に来てほしい。自分を信じているから、自分が信じた人も信じ切る。最終的には全部自分が巻き取ってなんとかできる自信もあります」
もしかしたら、森は自分以外の誰のことも信じていないのかもしれないと思った。他人に依存せず、自分だけを信じる生き方を選んできた。「飄々と」見えるのは、誰かに寄りかかるような弱い面を感じさせないからではないかと。
なぜここまで自分を信じようと決められたのか。その理由は、これまで公に語られることのなかった幼少期の経験にひもづいている。
大阪に生まれた森の家庭環境は複雑だ。両親は、森が5歳の頃に離婚。森と4歳下の弟は母親に育てられた。教育熱心だった母は森にたくさんの本を読み聞かせ、歓楽街・ミナミの水商売で家計を支え、私立小学校に入学させた。伸び伸びとした校風の中で楽しく過ごしていた森だったが、5年生の頃に家計が逼迫(ひっぱく)し、公立校に転校。その頃に家庭環境が荒れ、家族の危険を感じたときに、森は近所に助けを求めにいくことがたびたびあった。必死にドアを叩いても、インターホン越しに返ってくるのは「他人が踏み込むことじゃないからねぇ」と冷たい反応。森は悟った。「人を頼っても、助けてもらえるとは限らない」と。
転校先の環境に馴染(なじ)めず、担任の教師から「お前がきてからクラスがおかしくなった。二度と学校に来なくていい」と言われたこともあった。
「社会への期待を一切捨てました。大人たちが助けてくれないなら、自分でなんとかするしかない。でも、それがつらかったという感覚はなくて、僕は根源的に自分を信じる力が強いのだと思います。母親もそういうタイプですし、持って生まれたものなんでしょうね。社会の不合理を感じたら、誰かの力をアテにするのではなくて、自分で解決に動くべきなのだと子どもの頃から考えていました。一番偉くなって、社会を変えたいと」
卒業文集に将来の夢として「総理大臣」と書いたのは、政治家になれば社会を変えられると思ったから。社会が規定する学歴に興味がなかった森は、高校の進路を「野球場があって、家から近い」という条件だけで選択。勉強に苦労せずとも学年トップを取り、指定校推薦の中から消去法で近畿大学経営学部に入学。異性にモテなかった時期はなく、やろうと思ったことはそのとおりになる経験を繰り返すうちに、森の自我は肥大していった。
しかし、そんな森に初めて真剣に向き合ってくれた大人がいた。ゼミの指導教官だった教授の大窪久代だ。「本当に世の中を変えたいと思うのなら、人に応援してもらえる態度や体裁を整えなさい」という教えを受けたことを機に、森は金色に染めた髪を元に戻し、むやみに自信を振りかざすことをやめた。