7月16日に85歳で亡くなった音楽プロデューサーの酒井政利さん。山口百恵やキャンディーズ、矢沢永吉ら数え切れないほどの歌手やグループを手掛け、ヒットさせてきた。新しいことに積極的で、今でこそ当たり前の手法でもあるメディアミックスを、50年以上前に採り入れていた。
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今年3月、週刊朝日は酒井さんに「プロデュース力」をテーマに取材した。そのとき、人生の大きな転機として挙げたのが、青山和子が歌い、1964年7月にリリースした「愛と死をみつめて」(日本コロムビア)だった。
「映画会社の松竹から転職し、音楽に携わって3年。忙しくしていたものの、従来の作品制作に物足りなさを感じていたときです。それで、映画製作をイメージしてその主題歌作りをしてみたらどうかと思い、試してみた作品なんです」
そのころのレコード会社は、作詞・作曲ともに専属制で、日本コロムビアは西条八十、古賀政男ら大御所を多数抱えていた。だが、酒井さんは原作のイメージを優先して、周囲の反対を押し切り、詞は女子大生、曲はクラシックの素養がある新人を発掘して依頼した。
酒井さんはその時のことについて、
「起用した青山和子さんには、『女子大生風の清楚(ルビ/せいそ)な雰囲気で』と髪形まで変えてもらったのを覚えています」
と振り返る。
発売して間もなく、原作本がベストセラーに。さらに大空真弓主演でテレビドラマ化(TBS)、吉永小百合主演で映画公開(日活)と続いた。
「レコードがミリオンセラー、日本レコード大賞を受賞し、青山さんは紅白歌合戦に出場できました。想定外でしたが、これが私のメディアミックスの原点になったのです。それまでの制作スタイルにとらわれず、新しい手法、新しい音楽、常に新しいものをと考えていたから導かれたのだと思います」
70年代のミリオンセラーで今も歌い継がれる名曲、矢沢永吉「時間よ止まれ」(78年)、山口百恵「いい日旅立ち」(同)、ジュディ・オング「魅せられて」(79年)、久保田早紀「異邦人」(同)も、酒井さんがメディアミックスに成功した事例だ。