「毎回、昭和40年代以降に活躍された歌手をゲストとして迎えていました。酒井さんは詞と曲、いわゆる『作品』の質の高さと、作品の魅力を十分に引き出し、表現した『アーティストの力』を常に高く評価していました」

 講座を担当した同館の主任学芸員の宮本紘視さんはそう話す。

 数多くのヒット曲をプロデュースして歌謡界に一時代を築き、業界振興や後進育成にも尽力したことなどが評価され、2005年12月に音楽業界初の文化庁長官表彰を受賞、昨年11月には文化功労者に選ばれた。

 プライベートでは、赤ワインを愛飲した。晩年まで、体調がいいとフルボトルを1本空けることも。それでも特段、酔ったふうではなく“ダンディー”のまま。セレクトは酒井さんならではだ。

「産地や銘柄にあまりこだわりません。それに固執しちゃうと、他においしいワインがあっても飲みそびれてしまうから。プロデュースという仕事もそうですが、常にオープンな気持ちで、そのつど柔軟に対応するのが最善だと思っています」

 記者が最後に話したのは5月のゴールデンウィーク後の電話だった。

書籍とか音楽イベント、講演会の依頼が、どんどん来てゆっくりできないですね。新型コロナ? そんなモノに構ってる暇はありません」

 酒井さんが社長を務める酒井プロデュースオフィスによると、その後の5月末に持病のアレルギー疾患で都内の病院に検査入院し、改善したものの体力回復のため入院を続けていたという。

 7月16日午後7時過ぎ、入院先の病院で帰らぬ人となった。死因は心不全だった。

 ご冥福を心からお祈りします。(高鍬真之/本誌・鮎川哲也)
 
※週刊朝日8月6日号に加筆

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