しかし、善逸は鬼に対して、「自分がされて嫌だったことは人にしちゃいけない」と説く。「遊郭の鬼」が、かつて「物として扱われた」悲しい過去を持っていることを、相手のセリフから察しつつも、それでも、その鬼に「人としての思いやりを失ってはいけない」と言っている。君を物として扱う人がいなかったら、君も鬼になっていなかったのではないか……。

■善逸の本心

 善逸の言葉は、単純に鬼を責めているのではなく、「人間の持つ悪」「社会の悪」を問い直す意味も持っている。善逸のあの「怒り」は、「遊郭編」で描かれている「他者をふみにじる者」すべてに対する怒りだ。善逸は、悲しみが悲しみを生む、そんな厳しい現実を少しでもなんとかしたかった。苦界で生きるために、鬼にならざるをえなかった人物だったからこそ、善逸は、弱者に対するその残酷な行為を止めずにはいられなかった。

 善逸は、人間として生の不幸を知っても、すべての「人」に、人として生きろと呼びかけつづける。愚直でありながら、強い信念。善逸は、夜が明けるその時が来ることを願って、悲しみの中で戦い続けるのだった。

◎植朗子(うえ・あきこ)
1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。

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