哲学者 内田樹
哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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 この原稿が活字になる頃に、コロナの感染状況はどうなっているだろう。東京では少し前に感染者が4千人を超えた。たぶんこの記事が出る頃には5千人を超えているだろう。それでも五輪は開催され、テレビは朝から晩まで「日本選手の活躍」を笑顔で報道している。五輪関係者からも感染者が出ているけれど、「バブル」は機能しており、感染は「想定内」だから懸念するには及ばない、感染拡大と五輪開催はまったく無関係だと政府も組織委も言い続けている。

 一方、全国知事会は「県境を越えた移動の自粛」を求めていたが、どうなっただろうか。おそらく実効的な対策はとれなかったと思う。五輪関係者については「十分な配慮をしているので、移動しても感染は広がらない」と政府が主張している一方で市民たちには「十分な配慮をしても、移動すると感染が広がる」と告げるのはどう考えても論理的に破綻(はたん)しているからだ。今の官邸に「論理的であること」を求めるのは木に縁(よ)りて魚を求むふるまいだとわかってはいるが、それにしても。

 日本のコロナ対策は、政府が五輪の成功による政権の延命を国民の生命と健康に優先させたことで「ことの筋目」を通すことができなくなってしまった。

 そもそも政府はこれまでの対策の成否について検証をしていない。初動の遅れも「アベノマスク」もワクチン接種の遅れも、「失敗」と総括されたものは一つもない。おそらく、政府の政策はすべて適切だったのだが、一部国民がその「正しい指示」に従わなかったために感染が拡大した。すべてはその一部国民の責任であるというロジックに回収されて話を打ち切るつもりでいるのだろう。ここまで支離滅裂になると、私ももうどうしたらいいのかわからなくなった。「家から出ない、誰にも会わない」ということを政府から「もういいよ」と言われるまでいつまでも続けるべきなのか。

 凱風館の門人からも感染者が出た。発症してから2週間経つがついに入院できずに家で寝ていた。何の医療支援もない。買い物に出られないので、これから私が食料品の段ボールをドアの外に置きにゆく。こんなことがいつまで続くのか。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2021年8月16日号-8月23日合併号