人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「八月は黙祷の月」。
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八月は、私にとっては悔恨の月だ。一九四五年八月は六日が広島に原爆投下。九日が長崎の原爆、そして十五日が敗戦。終戦ではなく敗戦だ。今年もその日がめぐってきたのに、新型コロナさらに東京オリンピックの最中とは、複雑な気持ちになる。
八月は黙祷の月でもある。それぞれの日に、時間を合わせて黙祷する。せめてもの気持ちである。
「関口宏のもう一度!近現代史」という番組がある。毎週土曜正午から、BS-TBSで関口宏さんが、作家の保阪正康さんに近現代史について話を聞く。知らないことが多く、毎回目の覚める思いで見ている。
先月三十一日は、ノルマンディー上陸作戦とサイパン島の玉砕がテーマになっていた。サイパン島での戦は太平洋戦争のターニングポイントになり、ミッドウェイに端を発した負け戦は、絶対国防圏であるサイパンの陥落で決定的になった。
バンザイ・クリフから軍人も民間人も身を投げた悲劇の島として、上皇御夫妻も慰霊に行かれたのは記憶に新しい。
サイパン陥落以来、爆撃機のB-29は直接日本本土の上空を襲うようになる。
私は敗戦の年、奈良県の信貴山という山に縁故疎開をしていたが、その山を越えて大阪平野を爆撃するB-29の編隊をどの位見たか。そのあと大阪方面の空は、いつまでも消えない夕焼けのように燃えさかった。驚いたことに大阪大空襲は八月十五日の前日の十四日まで続いたのである。
小学校三年だった私はB-29が山すれすれに飛んでいくさまを昨日のことのように憶えている。
八月一日の朝日新聞の連載小説「また会う日まで」では、池澤夏樹氏がサイパン陥落という期に及んでの東條首相の談話を引用している。
「正に、帝国は、曠古(こうこ)の重大局面に立つに至つたのである。しかして、今こそ、敵を撃滅して、勝を決するの絶好の機会である(略)」