サンペイさんは、こちらが冷や汗をかいて英語を使わねばならぬ場面では10メートル以上離れるという気遣いをしてくれた。昔、東海林さだおさんとスイス旅行をしたとき、タクシーを呼んでくれるようホテルのフロントで頼んで、お互い、ハハンとかオーイエスとか分かったふりの結果、2台のタクシーが来てしまった経験があるからだという。
モスクワの巨大なホテルでは、エレベーターを降りてから自分の部屋まで行くのに、スーツケースを200メートル以上も押して行かねばならず、しかも殺風景な中庭しか見えない部屋に押し込まれた。レニングラード(現サンクトペテルブルク)に移動する日の朝、サンペイさんに懇願された。
「今日はサファリジャケットにジーパンという服装をやめて、背広にネクタイの姿になってくれる? 髪も7.3に分け、フロントではそのよれよれのビニール鞄が見えないように足元に置いてね」
その通りにすると、ネヴァ川に面し、眼下に10月革命の号砲を放った巡洋艦オーロラが見える部屋に老ポーターが案内してくれたではないか。
「人間、体裁じゃない、中身だ、と言いたいだろうけれどね、見かけで判断されるんだ」
とサンペイさんはうれしそうに笑い、
「東京に帰ってからもきちんとした服装を心がけるんだよ。そうすれば、すぐにもデスクに昇進だ。哲人ヒラクラス……もいいけれど」
などと付け加えた。
サンペイさんはふだんからおしゃれだった。その方面の団体からベストドレッサーに選ばれたこともあったっけ。
旅は続く。ソ連にサヨナラをして、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーと回るほどに、サンペイさんは元気になった。何を食べればこんなに大きくなれるのと言いたくなるようなご婦人方が多かったソ連に比べて、北欧の女性たちは違って見えたからだ。
当時、サンペイさんは、海外旅行のマナーを漫画入りで分かりやすく書いた『スマートな日本人』という本を出したばかりだった。こちらは海外旅行の経験が乏しかったから、教わることが多かった。レストランなどでのチップは原則15%と言われたので、見合う額を用意して、お伺いを立てる。ウェートレスが可愛い子のときは「もうちょっと」の声がかかり、中華料理店などのボーイのときは「多すぎないか」とチェックが入った。かたや25%、こなた11%。これ、どういうこと?