漫画家のサトウサンペイさんが7月31日に91歳で死去した。サンペイさんは家庭が主流の新聞漫画に「フジ三太郎」(朝日新聞)を登場させ、サラリーマンが主人公という新境地を開いた。週刊朝日の「夕日くん」も長期連載で、三太郎も夕日くんも政治や世相を斬りつつ、ちょっとエッチでもあった。担当者兼友人の池辺史生・元編集委員が、「マナーの達人」サンペイさんをしのびます。
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サトウサンペイさんが亡くなる1週間ほど前、久しぶりに電話で話した。「いま入院してるんだ。口から何も食べさせてもらえないの。見舞いもダメなんだよ」と、ぼやきつつも確かな口調だった。退院後に会いましょうと約束したが、それがかなわぬことになった。サンペイさんはつねづね、「いつも前を向いているべし。過去を振り返っていいのは、人や物への恩義に報いるときだけ」と言っていた。いまがそのときだ。あれこれの思い出を綴(つづ)ろう。
「夕日くん」の週刊朝日連載は、昭和43(1968)年から同59(84)年までの16年余りである。こちらがその担当編集者になったのは、1973年だったと思う。金曜日に、「原稿できましたか」と電話で問い合わせをすると、
「ウンウンうなっているところ。そうそう簡単にヒントもアイデアも浮かぶものじゃないんだ」
大概はそういう返事だから、電話するのは気が重かった。さらに、新聞の「フジ三太郎」の締め切りは毎日である。それを思うと、サンペイさんの生みの苦しみはよく理解できた。
「見開き2ページのカラー漫画を載せたら、漫画は週刊誌の刺し身のつまではなくなる、なんて、当時の編集長にぶったら、じゃあ、お願いしますと言われてね、3カ月の約束で始めた。それが何年になる? もうやめさせてもらいたい」
それが口癖で、歴代の編集長はひたすら慰留に努めている。サンペイさんの旅好きを知る畠山哲明編集長と涌井昭治前編集長が、どこか好きなところへ旅をと提案したのが、79年の「北緯60度の旅」である。
こちらは、お供というか世話役というか、ともかくも2人で、ソ連、北欧三国への旅に出た。