新潟県湯沢町で8月20~22日に開催された野外音楽イベント「フジロック・フェスティバル」。感染状況が深刻さを極める中での開催には、批判的な意見も多く見られた。だがフジロックに限らず、コロナ禍においてフェス開催に踏み切ることには、当事者としても葛藤があるようだ。フェス主催者や参加者に「それでもフェスを必要とする理由」を聞いた。
「この状況下で開催をしたわけですから、批判を受けることは承知の上だと思います」
こう話すのは、音楽フェス「VIVA LA ROCK」(ビバラロック)をプロデュースする音楽ジャーナリストの鹿野淳氏だ。主催者かつ音楽評論家としての立場から、フェス開催について様々な思いを抱える一人だ。
「ですが、批判されるのが嫌だからといって、やめるようなものではありません。フェスに向けては、様々な準備を重ね、多方面の方々と協議をしています。(この取材を受けた)26日時点では感染者が出ていないですが、これで何事もなかったということが証明されれば、この先のエンタテインメント業界にとっては今後につながる、ものすごく意義のある事例になると思っています」
フジロックの後援には新潟県や湯沢町のほか、観光庁や環境省なども加わっていた。鹿野氏は音楽ジャーナリストとしての立場から、フェスと町との関わりを話す。
「フジロックは、単に苗場という場所を借りているだけではなく、町から招致を受け、湯沢町と一緒に作り上げてきたフェスでもあります。その町が、新型コロナの影響で観光客が激減する中で本当に困っている。そんな中、久しぶりに多くの客が集まるイベントをやろうとしている。町の人も、客を迎えるために率先してワクチンを打った上で、感染を出さないために自分たちが何をやるべきなのか考えた上で、フジロックをバックアップした。協議を重ねる中で、フジロックの主催者側はその思いに応えたいという考えも強かったはずです。人情の面だけではありません。これからのフジロックと町のためにはとても重要なことだったと思います。単なる音楽イベントではないのです」
フェスの中止が影響を与えるのは、アーティストや町民関係者だけではない。技術者などのスタッフも離れてしまうという。