
チェン:山内さんの小説のなかで、タンタンがユーミンにいいことを言っていましたね。タンタンは確かに人を見る目があった、やはり素敵な人だったと本を読んで再確認しました。
《「あなたはこんなもんじゃないわよ」
その言葉は、由実にとって、不滅のお守りとなった。》
『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』(本文から)
山内:ユーミンにとってチェンさんは、村井さんへのパイプ役でした。その村井さんも、若い頃に川添さんのおかげでパリのバークレー・レコードを見学させてもらったり、「マイ・ウェイ」の版権を購入したり、ヤナセと組んでスタジオをつくったりといった経験があったので、若いユーミンを育てるという気持ちは強かったのですね。
チェン:川添さんの家に行くと、いろんな次元で、とにかくいろんな人がいた。エネルギーに満ちあふれていて、「コネクトする」ということが自然に行われていくんですよ。人をミックスするのが好きだったのでしょうね。
山内:チェンさんの昔のお写真を拝見すると、とてもかっこいいですよね。もちろん今も素敵ですが(笑)。
チェン:僕は音楽をやめてファッションの世界へ行くことになったんです。アルファキュービック・インターナショナルの社長を経験し、アルファキュービック・アメリカというのをつくってアメリカへ行きました。
山内:当時はロスでどんな音楽が流行(はや)っていましたか。
チェン:日本の音楽ではイエロー・マジック・オーケストラというのが面白いよって紹介されたな。でも、当時のロスはニューウェーブやスカやレゲエなどでした。4、5年経ってユーミンが日本でスーパースターになっていると知り、えっ?という感じ。10年近くアメリカにいて日本に帰ってきたとき、彼女に会って「すごいね、ユーミン!」って話をしました。
山内:チェンさんの結婚式でユーミンが伴奏してくれたんですよね。
チェン:そう、イグナチオ教会(東京・四谷)でね。ユーミンがオルガンを弾いてくれました。
(構成/本誌・鮎川哲也)
※記事後編>>「ユーミンは時代を先読みして音楽で表現する 山内マリコらが語る魅力」はコチラ
※週刊朝日 2022年12月2日号より抜粋