チェン:グループサウンズ(GS)の多くが、プロダクションがヒットさせたい、わかりやすい音楽をやっていたのですが、僕たちがプログレッシブ・ロックみたいなのをやっていたので、GSを聴きに来た人は何やってんだろうと思っていたでしょうね。でも、ユーミンはそこに興味を持った。
山内:フィンガーズが練習場所にしていたギターの成毛滋さんの麻布のお宅にも、ユーミンはよく行っていたそうですね。
チェン:フィンガーズも初めはアイビーリーグのようなスタイルをしていたのですが、ビートルズが出て、プログレッシブ・ロックが来て、滋と僕は1969年にアメリカで行われたロックフェスのウッドストック・フェスティバルに行ったら、ロングヘアになってしまった(笑)。ビートルズに影響され、音楽、思想、生きること、死ぬことなどを考え、学生運動が盛んな時代でした。同時に音楽が人生の指針となっていた時代でしたね。
僕もユーミンも大好きなプロコル・ハルムの「青い影」という音楽があるのですが、状況描写がかっこよかった。難解な内容でよく調べたら、カンタベリー物語の粉挽きの主人が奥さんを寝取られて、彼女の顔が青白くなっていくという内容。ユーミンはそういう、音楽の奥深くを解こうとし、プロコル・ハルムの情景描写の方法をインプットしていった。ユーミンが他のアーティストと違うところは、音楽に情景描写を取り入れ、時代感や時の流れなど、エモーショナルな部分も表現している。そういう才能を感じますね。
山内:みなさんで歌詞の解釈のことをよくお話しされたそうですね。
チェン:当時ユーミンがベンチマークしていたのはキャロル・キングでした。ピアノを弾きながら歌うシンガー・ソングライターとして大成功していた人です。
山内:キャロル・キングの成功があったから、作曲家志望だったユーミンも歌うことになったのですかね。
チェン:ユーミンは自分らしさを表現したいという気持ちが強かった。当時、彼女らしさが表現された曲が入ったカセットをもらったんです。それがすごく新鮮で。作曲家の才能を感じ、象ちゃん(音楽プロデューサーの川添象郎[しょうろう]さん)に言ってアルファレコード(創立者)の村井(邦彦)さんにテープを渡したのが、ユーミンがデビューするきっかけになった。