「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害を持つ子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出会った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。
■「障害があるのにすごい」は違う
13日間のパラリンピックが閉幕しました。皆さんご覧になりましたか?私はテニス、ラグビー、水泳など、日程を確認しながら競技を楽しみにし、家族で応援しました。卓球観戦をしていた時のことです。
足の指に球を挟み、口に入れたラケットでサーブを打つ選手の姿を見て、次女のぴぴがこんなことを言いました。
「パラ選手って、障害があるのにすごいねとか、車椅子なのにすごいねってよく言われてるけど、ぴぴは障害がどうこうじゃなくて、こうやって選手がラケットの持ち方とか泳ぎ方とか、その人にしかできないことを考え出して実践していることがすごいと思う」
なるほど。本当にその通りだと思いました。
私が運営しているNPO法人には、脳性まひの子どもを育てる保護者だけでなく、障害当事者の方の登録もあります。その中に、設立当初から私と一緒にイベントを企画してくれている、みくちゃんという社会人の女の子がいます。ご本人の許可を得て、彼女のことを少し書きます。
■みくちゃんはみくちゃん
みくちゃんは車椅子ユーザーです。四肢のうち、自由に動くのは左手の肘から先だけです。それでも彼女は私よりずっと速くスマホやPCを操作し、可愛くメイクやネイルをしたり、大学生の時にはアメリカに留学したりと、同年代の女の子と変わらない生活を送っています。
実は私は、初めのうちは、みくちゃんが何かをした時に伝える「すごいね!」という言葉の中に、無意識に『障害があるのに』や『車椅子なのに』という意味合いを入れていたように思います。
とても失礼な考え方ですよね。
みくちゃんは、みくちゃんなのに。
障害があってもメイクをしたり留学をしたいと思うことは当然であり、彼女はそれを叶えるためにツールや移動手段などアクセシブルな方法を考え出していて、本当はその見えない努力に目を向けるべきなのに、表面上の『肢体不自由』の部分だけを見ていたことに気づきました。