ありのままであるために必要
だが、その深層には、天皇に権威性を求めてしまう社会の変化がある。不安定な政治に飽き飽きする私たちは、不変なものを皇室に求めてしまう。皇室は無私(わがままを言わない存在)だと信じたくなってしまうのだ。
そもそも、孫娘の結婚に、祖父の許可が必要な家庭など今の日本にはほぼ存在しない。皇室の存在意義は、日本の家族の鏡であることだ。そこからの逸脱こそ、皇室の存続にかかわる。
確かに、小室さんは同等性の原則からは大きく外れる。しかし、21世紀の私たちは、100年以上前の原則を皇族に押し付け続けるべきなのか。
息苦しい日本で、若者たちは、相手の地位や年収や容姿といったステレオタイプ化した異性の魅力を重視していない。一緒にいて居心地のいいこと、ありのままの自分でいられることが最も重要である。社会学はこれをコンフルエント・ラブ(融合する愛)と呼び、従来型の恋愛と区別している。
眞子さまが選んだ小室さんは、まさに、ありのままの眞子さまであるために必要な存在である。眞子さまの言葉を借りれば、小室さんは「かけがえのない存在」であり、2人の結婚は「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」である。この言葉に、国民は戸惑っていると言う人がいる。社会の不安を眞子さまの結婚への期待に置き換えるべきではない。
国民と皇族は違うという人もある。同じである。逆に、同じであろうとしたことこそ皇室と国民を結ぶ回路であった。皇族にもプライバシーもあれば、個人的な欲望もある。恋もする。
国民が総小姑(こじゅうと)状態になり、眞子さまの結婚に注文を付けること自体、異様である。『週刊朝日』を含めたメディア報道もおかしかった。
結婚を両親が認めたことも明らかで「駆け落ち婚」と呼ぶのはもはや適切ではない。仮に「駆け落ち婚」だとしても、そのどこが問題なのか。
彼女の結婚を見守ることしか、私たちがなしうることはない。
※週刊朝日 2021年10月1日号