ルールにもとる婚姻は、貴賤結婚・不正結婚である。英語ではレフト・ハンディッド婚(左手の結婚)と呼ばれた。こうした19世紀的通婚制限は、20世紀になると欧州でも古びた慣行になっていった。
日本においても、1928(昭和3)年、秩父宮が平民籍にあった松平節子(のち勢津子妃)と結婚するなど規制緩和が進んでいく。戦後の正田美智子(現・上皇后さま)の結婚が、非華族(平民)との通婚だとして国民的祝賀を受けたのは、ご存知の通りである。
婚姻勅許制は現在も形式的に残っている。2017年、眞子さまと小室さんの結婚について天皇の裁可(さいか)があったと報じられたことである。
この件は、戦後初めての女性皇族の結婚、和子内親王の事例に遡(さかのぼ)る。1950年、鷹司平通(たかつかさとしみち)との結婚が裁可されるとき、婚姻は両性の合意のみに基く、と定めた日本国憲法24条との整合性が問題となった。そこで、裁可は皇室内部の手続きとして簡略化し、外部に公表しないことを決めた。
だから、その後の女性皇族の結婚で裁可が公表された例はない。眞子さまのときだけ、なぜか公表されたのである。
近代の皇室の歴史は、国民とのフラットな関係への志向(皇室平民化路線)と、権威化路線とのせめぎ合いのなかにあった。戦後皇室は基本的には、平民化路線へと向かっていた。
だが、近年、怪しくなってきた。それは、災害や経済的苦境が続き、日本の国際的地位が低下したことと無関係ではない。人は、何かに確信が持てないとき、過去とのつながりを確認したくなる。正統性、伝統、国家というアイデンティティーにすがりたくなるのだ。従来の通婚範囲から大きく外れた場所から出現した小室さんを受け入れにくいのは、私たちが、不安の時代を生きているからである。
眞子さまの結婚の裁可が公表されてしまったのは、宮内庁が前例を忘れたという単純な理由によるものだろう。